第617話

 昼休み、教室にやってきたノエルもチョコをくれた。しっかりと『本命だよ』と書かれた手紙も添えて。

 ただ、彼女はそれ以上は何も言わずに去ってしまう。僕は手の上に乗せられた大きなハート型のチョコを見つめると、少し罪悪感に苛まれながら紙袋の中へとそっと入れる。

 そんな様子を眺めていた麗華れいかは、「こんな時になんですが……」と言いながらカバンに手を突っ込むと、丁寧に包装されたクッキーを差し出してくれた。

 お菓子作りが好きな僕には分かる。前もって準備して、今が一番美味しく味が染み込んだ瞬間になるように作ってくれていると。

 本当なら今すぐ目の前で食べて感想を伝えたいけれど、どうしてもそういう気持ちにはなれずにお礼だけを口にして紙袋へ。

 何せ、今一番チョコを貰いたいと願っている相手からは何の音沙汰も無いのだ。

 まるで今日が何の日か忘れているかのように、目の前で美味しそうにお弁当を食べている。


「あの、紅葉―――――――――――」

「瑛斗っちはどこだー!」

「ちょいちょい、そんな道場破りみたいな入り方せんでもええやろ」


 もしかしたら本当に覚えていないのかもしれない。そう思って話しかけようとした瞬間、教室に2人の女の子がやってきた。

 近藤こんどうさんと紫帆しほさんだ。彼女たちは僕を見つけると、こちらへ駆け寄ってきて肘でうりうりとつついてくる。


「ノエルちゃんとより紅葉ちゃんを選んだんやって? 意外ってことは無いけど、応援してた身としてはびっくりやわ」

「紅葉ちゃんもいい子だからね。アイドルが忙しいってこともあるから、納得の決着ではあるけどさ」

「2人とも痛いよ。というか、そんな感じでウザ絡みしてくるキャラだっけ?」

「この痛みでノエルちゃんへの愛に目覚めへんかな…………ってすーちんが」

「私?! 提案したのは紫帆でしょ!」


 つい先程まで僕だけに向けられていた肘先が、今度はお互いをつつき合い始めた。

 そんな2人を一体何しに来たんだという目で見つめていると、彼女たちはハッとしたようにじゃれるのをやめて何かを手渡してくれる。


「私たちからの義理チョコや。ノエルちゃんのことはウチらにとって残念やけど、瑛斗っちのことは信用してるからこれ以上は何も言わへん」

「そのチョコはお祝いとでも思って。他にあげる相手もいないけど、イベント気分は味わいたかっただけだからさ」

「2人がお互いに渡せばいいのに」

「そ、そんなこと出来るわけないやろ!」

「私たちは恋人じゃないんだから、ねぇ?」

「いや、友チョコをって意味なんだけど」

「「……」」


 その後、段々と顔を赤らめていく2人から、両肩を嫌がらせのようにグリグリされたことは言うまでもない。

 彼女たちには捕まえる前に逃げられてしまったが、今度チョコのお礼を伝えると騙して仕返しをしてやろう。

 そんな悪いことを考えながら包みを紙袋の中へ入れると、ようやく広げたお弁当に手を伸ばす。

 今の光景を見ても紅葉の反応が無いということは、忘れていると言うよりもあえて避けていると言った方が正しい。

 要するに、チョコをあげれば返事をしなくてはならなくなるからチョコもあげないということ。僕はもしかしたら、彼女に嫌われたのかもしれなかった。


「……そっか。そうだよね、女心は変わりやすいって言うし」


 自分の単なる想像に過ぎないと分かっていても、やっぱり悲しくて辛い。

 けれど、そんな気持ちを表に出してはいけないと堪えてしまって、僕はただひたすらにご飯を口へ運んだ。何かを噛んでいれば、唇の震えも誤魔化せると思ったから。


「瑛斗さん……」


 そんな感情を麗華はあっさりと見透かしてしまったようで、向けられる少し悲しげな目から逃げるように、僕は窓の外へと顔を向けるのであった。

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