第618話

 紅葉くれははチョコの話題を確実に避けている。けれど、何だかんだ一緒に帰ろうと言ってくれるところに期待してしまう自分がいた。

 1ヶ月も返事を待っていたわけで、その間に何か気持ちの変化があることは不思議じゃない。

 彼女に限って……と信じたい気持ちはあれど、変に希望を持つより受け入れて心を折り畳んだ方が、偽りの表情の中に感情を押し込めやすかった。


瑛斗えいとさーん!」


 心の中でそう思いながら校門をくぐろうとしていると、背後からものすごい勢いで走ってきた人物が僕たちの目の前で止まった。

 彼女……萌乃香ものかは肩で息をしながら「渡したいものがあるんです」と何かを探す素振りを見せる。

 しかし、すぐにハッとして「少し待っていて下さい!」と校舎へ戻って行ってから数分後、カバンを抱えて再度姿を現した。

 どうやら急いで追いかけてきたせいで、渡したいものを置いてきてしまっていたらしい。


「瑛斗さんにはお世話になりましたから、お礼の気持ちを込めてチョコです!」

「わざわざ気を遣わなくていいのに。でも、ありがとう」

「えへへ、紅葉ちゃんにもあげます! 一度、友達にチョコをあげてみたかったんですよ」

「今までもあげれたんじゃないの?」

「あげようとはしたんですけどね。ボウルをひっくり返したり、チョコが溶けたり、盗まれたり……」

「災難にも程があるわね」


 あまりの境遇に同情してしまうが、萌乃香は「今年は皆さんのおかげで運がいいんです!」と満面の笑みを見せてくれた。

 そんな顔をされたら、こちらの感覚で幸か不幸かを測るのはお門違いというもの。実際にチョコは僕たちに届いたわけだから、ありがたく受け取らせてもらおう。


「お返し、期待してますね♪」

「ちゃっかりしてるわね、意外と」

「んふふ、食べ物でもいいですよ? 迷ったら食べ物にしてくださいね!」

「わかった、ちゃんと考えておくよ」


 食いしん坊な萌乃香とはその場で手を振って別れ、再び歩き出した僕たちはすぐにまた呼び止められることになる。

 声の主は校門にもたれかかっていた麗子れいこさんと、相変わらず白衣を着ている日花ひばなさんだ。

 麗子さんは僕が駆け寄ると箱を手渡ししながら、「言ったでしょ、私はまだ瑛斗くんのこと好きなんだから」と照れたように呟く。

 紅葉の気持ちに不安を感じている今そんなことを言われたら、ついつい心が揺らいでしまいそうになるけれど、やっぱり自分の心に嘘はつけない。


「返事は分かってるからいいよ。でも、私の気持ちまで死んだことにしないで欲しくて」

「……分かってる、ありがとう」

「いえいえ。あと、日花ちゃんの分も受け取ってあげて。本人はどうして渡すのか分かってないみたいだけど」

「元学園長に渡すよう言われた。チョコを渡すことになんの意味がある?」


 日花さんは今、叔父さんと一緒に暮らしているらしい。相変わらず学校には来ていないものの、存在しない祖父から引き継いだ店のために頑張っているんだとか。

 わけも分からず指示されるまま私に来た相手に何とも伝えるべきかは分からないけれど、とりあえずお礼を伝えておく。

 彼女も「嬉しいなら良かった」と無表情ながら満足げな足取りで帰ってくれたし、この対応は間違っていなかったはずだ。


「……」


 2人を見送ってから振り返ると、紅葉が不機嫌そうにこちらを見ていた。

 さすがにお待たせしすぎたのだろう。僕が「ごめん」と謝って歩き出すと、短いため息をこぼしてから小走りで横に追いついて来てくれる。

 自分の想像通り紅葉の気持ちが変わっていたとして、一緒に帰るのはいつもの癖か何かなのだと思っていた。

 けれど、こんなにも嫌そうな顔をしてまで大人しく待っていてくれるものなのだろうか。

 そう思いながらいっぱいになった紙袋を見つめていると、隣から覗き込んできた彼女が呆れたような口調でボソッと呟いた。


「随分とモテモテね」


 からかうようなものとは違う。かと言って真面目に言っている訳でもない。

 何かを探るようで、同時に不服さも入り交じったその声色に、僕はこれまでの自分の悩みが嘘のように吹き飛ぶのを感じた。

 だって、紅葉がずっとこんな顔をしている理由に気が付いてしまったから。


「紅葉、もしかしてヤキモチ妬いてる?」

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