第619話

紅葉くれは、もしかしてヤキモチ妬いてる?」


 その言葉に、彼女はハッとしたかと思えば、すぐに視線を下へと向けて小さく頷いた。

 意外にもあっさりと認めることに驚きはしたが、それよりも嫌われていたわけではないということに対する安堵の方が大きい。


「じゃあ、どうしてチョコの話題を避けてたの?」

「それに触れたら、告白の話になるでしょう? 私が先にそれをしたら、瑛斗えいとはチョコを貰いづらくなると思ったのよ」

「気を遣ってくれてたんだ」

「私だって気持ちよく受け取って貰いたい気持ちは分かるもの。それに……」

「それに?」

「私、渡すものを学校に持ってきてないのよね。忘れたわけじゃないのよ、持って来れなかっただけだから」


 その言葉についてもっと掘り下げたいとは思ったけれど、紅葉の「見てもらえれば分かるわ」という言葉を信じてそれ以上の追求は控えておいた。

 僕たちは校門の前を離れると、一旦チョコの話題からは離れていつも通りの会話をしながら家へと向かう。

 そしていつも通り曲がり角のところで向き合うと、「家で待っていてちょうだい」と言われたので大人しく帰宅する。

 家が背中合わせというのも便利だね。こうして家に取りに帰ったものを、すぐに持ってくることが出来るんだから。


 ピンポーン♪


 インターホンがなってから、少し深呼吸をする時間を挟んでドアを開ける。

 その向こう側にはもちろん紅葉が立っていて、彼女は自分の顔ほどある箱を両手で抱えるようにして待っていた。


「入って」

「お邪魔します」


 ぺこりと頭を下げ、慣れた足取りで家に上がる彼女をリビングへと案内する。

 そこで僕たちは机を挟んで向き合うと、紅葉も深呼吸をひとつしてから口を開いた。


「瑛斗、チョコはいくつ貰ったのかしら」

「えっと……奈々ななのも合わせると10個になるのかな?」

「そう、そのうちに本命はいくつあるのかしらね」

「いきなりどうしたの?」

「いいえ、何でもないわ。とにかく、瑛斗の今年の獲得数は11個だってこと」

「10個だってば」

「今から貰う数も含めなさいよ」

「……あ、そっか」


 うっかりしていたと後ろ頭をかく僕に、彼女は呆れたという顔をしつつ、リボンを解いて箱を開けてくれる。

 この大きさならチョコケーキかチョコタルトか、なんにせよ手間をかけて用意してくれたことは間違いない。

 何であっても『美味しそう』という感想が自然と出てくるに違いない。好きな人が用意してくれたものなのだから。

 そう心の中で信じて疑わなかった僕は、中身が何なのかを理解した瞬間に思わず零れた言葉に自分でも驚いた。だって。


「いや、チョコじゃないやないか」


 人間、ツッコミを入れる時は皆、心の中の関西人が呼び起こされるものなのだと知ったから。

 初めて言ったよ、『やないか』なんて言葉。びっくりするくらいすんなりと出てきちゃったよ。

 そのツッコミは紅葉も少し頭に浮かんでいたようで、ぷっと吹き出すように笑い始めると、「そうね、チョコじゃなかったわ」と腹を抱える。


「でも、好きでしょう?」

「もちろんだよ」


 彼女が用意してくれたのはチョコケーキでもチョコタルトでもない。けれど、僕が大好きなもの……アップルパイだった。


「どうしてチョコよりこれを選んだの?」

「ふん、私がそんなチョコ業界が用意した見え見えの策に引っかかると思う?」

「きっと最初は引っかかったんだろうね」

「……どうして知ってるのよ」

「紅葉って分かりやすいからさ」


 見透かされて恥ずかしがる彼女に思わず頬を緩めつつ、「そうだ」と冷蔵庫へと向かう。

 そして中から箱を取り出すと、「僕も紅葉にあげようと思ってたんだ」なんて言いながら彼女のアップルパイの隣に並べて開封する。

 ワクワクした目でそれを見つめていた紅葉はと言うと、中身が何なのかを理解した瞬間、あからさまに固まった。

 いや、こうなることは予想出来たけどね。


「ごめん、アップルパイ被りだ」


 2つ並んだアップルパイのキラキラとした姿と甘い香りで、結局は二人とも何を送ったかなんてどうでもよくなってしまったのだけれど。

 ただ、『一緒に食べたかった』という理由まで被っていると知った時には、少しの間お互いの顔を直視出来なかったことは言うまでもない。

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