第620話

 紅葉くれはが持ってきてくれたアップルパイを切り分けて、「お持たせで恐縮ですが……?」と言いつつ出すと、何か違うという顔をしながらも受け取ってくれる。

 自分の分も向かい合う位置に置き、イスに腰を下ろしてからいただきますと二人で手を合わせた。


「あ、美味しい」

「当たり前でしょう? 誰が作ったと思ってるのよ」

「紅葉のお姉さん?」

「どうやら殴られたいらしいわね」

「冗談だよ。冗談だからフォークを持って拳を振り上げるのはやめて」

「……ふん。瑛斗えいとには伝わらないのね、アップルパイに込められた気持ちが」


 紅葉はやれやれと言いたげな目をしながら自分もアップルパイを一口食べる。

 僕はイスから立ち上がって不貞腐れている彼女のすぐ隣へ移動すると、目線の高さを合わせるように膝を曲げて口の端を親指で拭ってあげた。


「ジャム、付いてたよ」

「……ありがと」

「紅葉の気持ちならちゃんと伝わってる。わざわざ僕の好きなものを用意してくれたんだから」

「……」

「紅葉が僕の返事をずっと待ってくれてた間の辛さも、少しだけかもしれないけど分かった。怖いんだ、気持ちが変わるのが」

「瑛斗……」

「返事、教えてくれる?」


 僕の言葉にしばらく目を見つめていた彼女は、ゆっくりと首を縦に振って体をこちらへと向けてくれる。

 それから深呼吸を何度かした後、スカートをギュッと握りしめたのを見て僕も覚悟を決めた。


「最初は白銀しろかね 麗華れいかに負けたくなくて、瑛斗のことを落とそうとしてた。恋愛感情なんて二の次だったわ」


 紅葉の言葉にただただ耳を傾け、何も言わないまま視線を返し続ける。


「でも、瑛斗はひとりぼっちだった私の心までほだしてくれた。ふたりぼっち以上のものを与えてくれたの」


 遮りたくないという気持ちが無いと言えば嘘になるけれど、それよりも僕は遮ることなんて出来ないと思った。


「いつの間にか私が落とされてた。瑛斗のことも、瑛斗がくれたものも全部宝物になってるって気が付いたの。だから――――――――――」


 彼女の真剣で重みのある一語一句全てが、最後の言葉を伝えるには必要なものだと感じたから。


「そこまで私のことが好きなら、付き合ってあげても……いいわよ?」

「―――――――――――ぷっ」


 最後の最後で素直になれず、ひょっこりと顔を出したツンデレ紅葉に思わず吹き出してしまった。

 あれだけストレートに心の内を教えてくれていたと言うのに、ここまで来てまさかの変化球だとは思わないだろう。

 ずっと待ち望んでいた答えを貰えた安堵で気が抜けたことも相まって、僕はしばらく笑いが止まらなかった。


「ちょ、ちょっと! 笑いすぎじゃない?!」

「ごめんごめん。あまりに可愛らしかったからさ」

「かわっ?! い、いきなり何言って……」


 照れたのか顔を背けようとする彼女の頬に、そっと手を当ててそれを阻止する。

 赤らんでいく顔を見つめられていると意識すれば、そのせいでもっと熱くなっていく。僕も分かっていたからやったのだけれど。


「それで、返事はそれでいいの?」

「え?」

「一生ものになるかもしれない告白の返事、『付き合ってあげる』で大丈夫なのかなって」

「……べ、別にそれが事実なんだもの」

「子供に質問されたら困ると思うけどなぁ」


 からかうようにそう言ってみると、意外と紅葉には深いところまで刺さったらしい。

 唸りながらしばらく考えた後、「子供のため、子供のため」なんて呟いて僕の目を真っ直ぐに見つめてきた。


「瑛斗、私と付き合ってくれる?」

「もちろん。こちらこそよろしくね」


 即答だ。もう随分と前から、この言葉を喉の辺りに準備していたのだから。

 紅葉はその答えを聞いた瞬間、まるで子供のように泣き始めてしまって、離さないと言わんばかりに強く抱きしめられた。

 その後、雰囲気で紅葉との二度目のキスをしたのだけれど、りんごの甘い味がする幸せな口付けだったことをここに記しておこうと思う。

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