第173話

「目的地ってここですか?」

「そうだけど?」


 当たり前のように頷くお姉さんに、僕はもう一度目の前の建物を見上げた。

 ここは最寄り駅から数駅隣のターミナル駅から徒歩10分、首が痛くなるほどの高さのビルが立ち並ぶオフィス街。

 その一角にある群を抜いて高い建物の前に、僕たちは立っていた。


「タワーマンションじゃないですか」

「今日はここに仕事をしに来たの」

「お姉さんの仕事って――――――――」


 彼女は僕の言葉に「そう、家庭教師のバイトだよ」と微笑んでから、コンシェルジュの居そうな玄関へと入っていく。


瑛斗えいとくんも早く!」

「こういう場所は初めてなんです、急かさないでください」

「緊張しちゃうのかな? まだまだお子ちゃまだね」

「子供じゃなくても緊張しますよ」

「ふふ、中では堂々としててよ? 瑛斗先生♪」


 どうして先生呼びなのかと首を傾げつつ、僕はお姉さんが乗ったエレベーターへ一緒に乗り飲んだ。

 こんな場所に住んでる子供だから、相当賢い子や真面目な子なんだろう。お姉さんの給料も高そうだなぁ。

 そんなことを思いながら、僕は止まったエレベーターの階層表示を何気なく見上げる。


「―――――――60階?」


 このマンションの最上階だった。

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「いらっしゃい、よく来てくれた!」

「お久しぶりです♪」

「お邪魔します」


 出迎えてくれたお父さんらしき人に頭を下げ、僕たちは奥の部屋へと案内される。

 驚いたことに、ワンフロア丸々この人の家なんだとか。自慢げに話されたけど、素直にびっくりしちゃったよ。


「娘もそろそろ戻ってくると思う。それまで景色でも眺めながらくつろいでいてくれ」


 お父さんはそう言うと、仕事があるからとどこかへ行ってしまった。きっと社長とかをやっていて忙しいのだろう。

 僕は用意してもらったお茶をひと口飲んでから、向かい側のイスでゆったりとしているお姉さんに聞いてみた。


「どうして僕がここに来る必要があったんですか?」

「それは瑛斗くんに先生になってもらうためだよ」

「先生? 僕に家庭教師の代わりをしろと?」

「まあ、そんなところかな」


 なるほど、だからさっき瑛斗先生って呼んだんだね。僕は心の中で頷きつつ、やはり消えない疑問をに首を捻った。

 勉強を教えること自体は難しくないし、りんごジュースとアップルパイのためと思えばやる気も出る。ただ――――――――――。


「自分で出来ない理由でもあるんですか?」

「さすが瑛斗くん、察しがいいね!」


 お姉さんがグッと指を立てると同時に、玄関の方から扉の開く音が聞こえてきた。どうやら娘さんが帰ってきたらしい。

 一体どんな人なのかとドアを見つめていた僕は、その人物の容姿に思わず「え?」という声を漏らした。


「……また家庭教師か」


 プリンのように根元だけが黒色のブロンドヘアー、第3ボタンまで開けた制服、下着が見えてしまいそうなほど短くなったスカート。

 その荒々しい姿は一目見ただけで、お金持ちのお嬢様とは正反対の存在であることが分かる。

 彼女はソファーの上にカバンを放り投げると、お姉さんの胸ぐらを掴んでキッと睨みつけた。


「二度と来るなって言っただろうが」

「でも、私はお父さんに頼まれて……」

「勉強くらい自分でできる、さっさと帰れ」

「お金を貰ってる以上、易々と帰される訳には……」

「うっせぇんだよ」

「っ……」


 プリンちゃんの威圧にお姉さんが怯んでいるのを見て、僕はどうして自分が呼ばれたのかを理解した。

 お姉さんはプリンちゃんが苦手なのだ。家庭教師として勉強をさせたいけれど、本人にその意思がない上に酷く嫌われているから。


「プリン、お姉さんに手を上げたらお父さんにいいつけるよ」

「プリン言うな! てか、お前誰だよ」

「プリンに勉強をさせるために呼ばれた人かな」

「別の家庭教師か? 歳は私と変わらないように見えるけどな?」


 そう言いながら観察するように眺めてくるプリンちゃんに、「精神年齢は僕の方が上だね」と言うと、彼女はお姉さんから手を離してこちらに掴みかかってきた。


「お前、ボコられてぇのか?」

「勉強出来ないんでしょ? 努力も出来ないんじゃ、まだまだ子供のままだよ」

「っ……言ってくれるじゃねぇか……」


 眉間ををピクピクとさせた彼女は、乱暴に僕を突き放すとカバンを持って部屋の扉を開ける。そして、こちらを振り返りながら不機嫌そうに言った。


「なら、勉強を教えてみろよ。アタイにも分かりやすかったら、お前のこと認めてやっから」

「望むところだよ」


 部屋の中へと入っていくその後ろ姿に、僕はお姉さんの視線を交わしてから親指を立て合った。

 さすがはプリン頭。少しの挑発で乗ってきてくれるなんて、なかなかにチョロいね。

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