第172話

瑛斗えいとくん、お姉さんとお出かけしよっか」

「いきなりどうしたんですか」


 朝食で使った食器を洗い終え、少しくつろごうとリビングに入ったところ、紅葉くれはのお姉さんがそんなことを言ってきた。


「君はいつかは私の弟になる存在だからね!」

「どうしてそうなるんですか」

「30歳まで未婚だったら、くーちゃんと結婚してもらう予定だし?」

「勝手に決めないでください」


 僕がきっぱりと拒絶の意志を見せると、お姉さんはソファーの上で不満そうに頬を膨らませた。


「じゃあ、くーちゃんが告白してきたらどうするの?」

「それは断りますよ」

「どして?」

「好きなのかも分からないのに、易々とOKなんて出せませんから」


 お姉さんはその言葉を聞いて感心したように頷くと、「私も瑛斗くんみたいな彼氏が良かったな〜」と意味深に窓の外を眺める。


「彼氏さん、いるんですよね?」

「いるけど、最近会えてないんだよね」

「会いに行けばいいじゃないですか」

「……それはちょっと無理かな」


 お姉さんはゆっくり体を起こすと、テーブルに置いていたペットボトルから水を一口飲んだ。


「私、今の彼氏で18人目なの」

「モテモテですね」

「顔と胸はあるからね」

「それ、自分で言いますか」

「くーちゃんには内緒だよ?」


 少し意地悪な笑みを見せた彼女は、唇に人差し指を当てた後、「でも……」と視線を床へと落とす。


「これまでの17人全員、最後に振られたのは私」

「嫌いになったって言われたんですか?」

「その逆。『好きすぎて自分がダメになる』って言われるの」


 お姉さんの言葉に、僕は無意識に首を捻った。恋愛感情自体分からない自分には、好きなのに別れたいという思考回路は更に理解できないのだ。


「私、尽くしちゃうタイプなの。家に掃除しに行ってあげたり、ご飯作ってあげたり、たまには都合のいい女になったりね」

「いい彼女さんじゃないですか」

「自分でもそう思ってたよ。でも、みんないい人だったから気付いちゃったみたい」


 お姉さんはそう言いながら僕の側まで歩いてくると、人差し指で心臓のある位置をツンとつついた。


「私がしてあげることが増える度、自分がダメな人間になってるって」

「掃除も料理もされたら、ゴロゴロしてるしかないですからね」

「休みの日は、体を動かすのなんて夜だけだったよ」

「ん? 公園でジョギングでもしてたんですか?」

「ふふ、瑛斗くんには少し早い話だったかな?」


 お姉さんはクスリと笑うと、再度ソファーに座り直してのんびりとくつろぎ始める。


「そういうことがあったから、私は二度と彼氏を甘やかさないって決めたの」

「だから家に行きたくないんですね」

「そゆこと〜♪」


 彼女はテレビのリモコンを操作して、録画してあったお笑い番組を再生した。完全にくつろぎモードだ。

 しばらくヘラヘラと笑っていたお姉さんは、何度目かのCMに入ったところで、りんごジュースを飲んでいた僕に向かって聞いてきた。


「結局、お姉さんとお出かけはするの?」

「随分と話がさかのぼりますね」

「年上のお姉さんとのデート、断る理由はない!」

「普通に行きたくないです」

「もっと欲望に忠実に生きようよ!」

「寝たいです」

「……す、睡眠欲に負けた?」


 今日は朝ごはんを作るために早起きしたのだ。昼寝の時間を設けようと思ってたくらいだし、今も猛烈に眠気が襲ってきている。

 そんな状況で、彼氏持ちのお姉さんと出かけようなんて気にはどうしてもなれなかった。


「一人で行ってきてください」

「それが嫌だから誘ってるのに……」


 お姉さんは「うーん」と顎に手を当てて悩むと、やがて何かを思いついたように僕にピシッと人差し指を向けてくる。


「確か、りんごジュースが好きなんじゃなかった?」

「大好きですけど」

「目的地の近くにファミレスがあるから、来てくれたら好きなだけ飲んでいいよ?」

「なんか怪しくないですか?」

「リンゴパイもつける!」

「よし、今すぐに行きましょう」


 こうして、僕はまんまとお姉さんの罠にハマったのであった。やっぱり、りんご欲には勝てないね。

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