第362話

 個水槽をゆっくりと眺めた僕たちは、最後にゆらゆらと揺れるチンアナゴのいる円柱型の水槽を見に行った。

 ゆらゆらと揺れる様はやはり人気なようで、常に人が集まっている。

 背の低い紅葉くれはは人の間を抜けられたが、僕と麗華れいかは団体が抜けてから水槽に近付くことにした。


「小さいのも役に立つ時があるんですね」

「うっさいわね、態度まで大きいくせに」

「持って生まれた者の余裕と言ってください」

「持って生まれたせいで本当の友達ができなかったんでしょうが」

「あらあら、今更それを掘り返しますか?」

「……や、やめておくわ」


 麗華の目が思ったよりも本気なことに気付いた紅葉は、「まあまあ、ここはチンアナゴに免じて……」と彼女の背中をポンポンとして宥める。

 僕もそれに乗じて2人の視線を水槽の中へ向けさせると、彼女たちは途端に押し黙ってチンアナゴを見つめ始めた。


「……揺れてますね」

「……揺れてるわね」


 近くにいるチンアナゴが同じ方向を向くのは、水流に乗って流れてくるプランクトンなどの餌を食べるためと言われている。

 そんな雑学的な知識を横に置いておくとしても、揃って左を向いている様子は、何だか愛らしくて見蕩れちゃうね。


「今言うことじゃないと思いますけど、チンアナゴって名前は口にしづらいですよね」

「本当に今言うことじゃないわね。まあ、確かに昔はそう思ったこともあったけど」

「どういうこと?」

「いえ、分からないならいいんです」

瑛斗えいとは純粋なままでいるといいわ」


 ら行は言いづらいとよく言うけれど、チンアナゴの名前にら行は入っていない。

 試しに何度か口に出してみるも、特には言いづらさを感じられなかった。

 それなのに紅葉からは「やめなさいよ」と叩かれる。これが俗に言うところの『本当にあった理解できない話』というやつだろうか。


「じゃあ、そろそろ次の――――――――」


 考えていても仕方が無いので、次のエリアに進んでこの引っかかるような感覚を忘れてしまおう。

 そう思って水槽から離れようとした矢先、ポケットに入れていたスマホが短く震えた。どうやら通知が届いたらしい。


「……ん?」


 大事なことかもしれないと確認してみれば、それは誰かからのメッセージではなく、MyTubeから『ライブ配信が始まりました』という通知。

 僕がこの通知をするように設定しているのはたった一人、ノエルだけだ。ということは、彼女がこんな時に配信をしているということになる。


「2人とも、ちょっと待ってね」


 ノエルとはイヴも含めて、この後アイスクリーム屋さんで合流することになっているはず。

 こんな時間に配信をするなんてことも聞いていないし、何か大切なお知らせだったりするんじゃないかと思ったのだ。


「あれ、この背景って……」


 少し緊張しながら配信に入ってみると、映し出されたのはのえるたそと、少し離れた場所にある大きな水槽。

 そこにはジンベエザメがゆったりと泳いでいた。沖縄でこんな景色が見られる場所と言えば、思い当たるのはたったひとつしかない。


「ノエルたち、同じ場所にいるね」

「同じ場所って……ここに?」

「ですが、あちらのグループはこの時間、別の場所に行っていたはずでは?」

「そのはずなんだけど」


 時間の都合を合わせるため、僕たちは予定の確認を互いに行った。

 確かにその時、ノエルは陸上の動物と触れ合える場所に行くと言っていたから、ここにいるというのは真逆の場所に来ていることになるのだけれど。


『のえるたそだよ〜♪ 今、修学旅行中なんだけど、事務所と一応仕事はするって約束したから、水族館から配信をしてまーす!』


 よくよく聞いてみれば、スマホからだけではなく通路の向こうからもノエルの元気な声が聞こえてくる。

 事情はよく分からないけれど、とりあえず彼女たちとは少し早めに合流してしまったらしい。


「……」ジー


 こちらに気付いたらしいイヴがこちらを見つめているので、手を振って認識していることをアピールしておいた。


「イヴのところに行こうか。ノエルとは配信が終わってから話せばいいね」

「そうしましょうか」

「ええ、それでいいと思うわ」


 何故か影から片目だけを覗かせたり、顔を全部出したかと思えば引っ込めてまた片目だけの状態を繰り返しているイヴに、僕たちは若干困惑しながら近付くのであった。


「何やってるの?」

「……ひょっこり」

「楽しい?」

「……」コク

「それなら良かった」

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