第386話

「その穢れた目でイヴを見ないでくれるかな」


 冷たく言い放った瞬間、男の中でパチンと何かが弾け飛んだのが分かった。

 それを認識した瑛斗えいとは後退りそうになるが、すぐに体重を前に戻すと歯を食いしばる。

 直後、腹に一発と右頬に一発のパンチを連続で受けてしまい、体力に自信の無い彼はパタリとその場に倒れてしまった。


「瑛斗くん?!」

「瑛斗……!」


 ノエルとイヴがすぐに駆け寄ってきてくれるが、殺気立っている男に近付くのは危険過ぎる。

 瑛斗はよろよろと立ち上がって両手を前に伸ばすと、「来なくていい」と2人を制止した。


「で、でも!」

「大丈夫。僕、見た目より強いから」

「……」ジッ

「そんな目で見ないでよ、イヴ」

「私のために瑛斗くんが傷つくのは嫌だよ!」

「それは僕も同じ。目の前でノエルとイヴが傷つけられて、何もしないで逃げるのは嫌なんだ」


 彼はそう言って男に近づいて行くと、弱々しいタックルをして見せる。

 しかし、嘲笑と共に打ち込まれたパンチはもろにみぞおちへとめり込み、痛みのあまり仰向けに倒れてしまった。

 そんな瑛斗の口の端から血が垂れるのを見た紅葉くれはは、すくんでしまった足を強引に動かして飛び出そうとする。しかし。


「遅れて申し訳ございません、事務所から介入するなと言われていましたので。ですが……どうやら私は約束の守れない悪い大人のようです」

「私はお嬢様に危害が及ぶことを阻止しようかと待機していました。ですが、対象を早急に排除する方が楽が出来ると判断しましたので」


 紫波崎しばさきさんと瑠海るうな、2人の突然の登場に驚いて足を止めてしまった。

 いや、正確には止めてもいいと思ったのかもしれない。彼らが自分よりもずっと頼りになる人達だと分かっているから。


「な、なんだよお前ら。俺たちの問題に口挟んでんじゃねぇよ!」

「これだけの人を巻き込んでおいて、まだ俺たちの問題であると? ふっ、笑わせてくれますね」

「修学旅行だろ? 制服着てるお前の方が笑えるわ」

「あらあら、私がただの学生に見えると。殺気を隠すのが上手くなったようで嬉しい限りですよ」


 そう言い終える前に、瑠海さんの脚は男の右足を蹴り飛ばしてよろけさせていた。

 反応が間に合わずに前へと倒れそうになる彼は、姿勢を活かしてタックルしようとするが、そんなことは見越していたのだろう。

 瑠海さんは蹴りを入れた時に浮かせていた足を振って体を回転させると、その勢いで男の首に足を巻き付けて側転しながら後方へと投げ飛ばした。


「い、痛えな……何しやがる!」

「私はノエル様とイヴ様のご友人であるお嬢様に仕える身です。これがどういう意味か分かりますか?」

「は? んなもん分かるわけねぇだろ」

「そうですか。なら、ドブネズミにもわかるような簡単な説明で教えて差し上げますね」


 彼女はそう言いながら彼に近付くと、片手で胸ぐらを掴んでグッと持ち上げる。

 その表情は相変わらずやる気があるのかないのか分からないが、男が動揺するほど恐ろしい怪力であることは確かだった。


「お嬢様のご友人を侮辱するということは、お嬢様の人生を侮辱するということ」

「何がお嬢様だ、頭おかしいんじゃねぇのか?」

「お嬢様の想い人を殴るということは、お嬢様を殴ることと同義。許されることではございません」

「あんな弱いやつを好きなのか? 大したことねぇな、お嬢様とやらも」

「…………言動には気を付けた方がいいですよ」


 瑠海さんが一息置いてから、「幕内まくのうち 修太郎しゅうたろうさん」と口にした瞬間、彼の顔が一気に青ざめていく。


「どうして?!」


 男がそう声を上げた瞬間、彼女はまるで嘲笑うかのようにニンマリと口元を歪ませた。


「ふふふ……どうしてでしょう?」

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