第387話

幕内まくのうち 修太郎しゅうたろうさん」


 その名を口にした瞬間、男の方がビクッと跳ねる。それとほぼ同時に「どうして?!」と声を上げたところから見るに、あれは彼の本名なのだろう。


「平成12年4月3日生まれ、血液型はO型。好きな動物はトカゲ、イヴ様に関する事件の後は親に縁を切られ、今は友人宅に居候中。小学生の時の夢はカエルになること。検索履歴に1番多いのは18禁アニメの閲覧サイトである」


 ペラペラと詰まることなく言い切った瑠海さんは、「何か間違っていましたか?」と首を傾げる。

 その質問に対する答えはNOであるようで、個人情報をバラされ恥をかいた男は激怒して彼女に掴みかかった。


「あらかじめ俺の事は調べてたってのか!」

「いいえ。調べていたのではなく、今調べたのです。屋敷で待機するメイドたちが」

「なっ?! そんな早く分かるわけ……」

「この国が安心だなんて思わないことですね。犯罪者風情の個人情報ほど、ローリスクハイリターンな商品はありませんから」

「お前……!」


 彼が腕を振り上げるも、瑠海さんは微動だにしない。それは殴られ慣れているからなどではなく、助けが入ると信じているから。


「女性を殴るなんて、紳士じゃないですよ」


 勢いよく振り下ろされた腕はあっさりと掴まれ、赤子の手のようにひねって男は地面に転がされる。助けたのはもちろん紫波崎さんだ。


「ノエル様とイヴ様、そして狭間はざま様を傷つけたこと。本当ならばこの手で制裁したいところです」


 彼はそう言いながら握りしめた拳を下ろすと、軽々と自分の肩の高さまで男を持ち上げてしまう。

 相変わらず人間離れした超力だ。女性への耐性があまりないことを除けば、やはり完璧な人間に違いない。

 僕がそんなことを思いながら眺めていると、紫波崎さんは男と目を合わせながらサングラス越しに睨みつけた。


「命があるだけ、マシだと思ってください」

「は? なんだよ、脅迫か?」

「いいえ、忠告です」


 彼はそう言って深いため息をつくと、今度は自分の頭よりも高い位置へと男の体を掲げる。

 それから「今度は何年出てこられないでしょうか」と呟いた後、まるでヘリコプターのプロペラのようにそれを回し始めた。


「では、ノエル様。警察を呼んでありますので、この者を通りの前まで連行して参ります」

「あ、うん。……それって意味あるの?」

「回転ですか? 特に意味は無いです」

「そっか。もう少し早く回せる?」

「もちろんでございます」


 ノエルの指示で紫波崎さんが更に回転速度を上げると、それまでは何とか抵抗しようともがいていた男がガクッと項垂れて動かなくなる。

 何かまずいのではと思ったものの、回転を止めて確認してみれば首元に細い注射針が刺さっているのがわかった。


「ご安心ください、記憶を少しばかり消すだけの安全なお薬ですので」

「……用意周到ですね、瑠海様」

「そちらこそ、なかなか優秀ではありませんか」

「それはお互い様でしょう」


 今回の件を乗り越えて、紫波崎さんと瑠海さんは少しお互いを理解できたらしい。

 その事実にホッとしながら立ち上がった僕は、駆け寄ってくるノエルとイヴに心配そうな目で見つめられた。


「瑛斗くん、大丈夫なの?!」

「……」プルプル

「平気だよ、それなりに殴られ慣れてるからさ」


 そう言いながら紅葉の方を見ると、彼女にも聞こえていたのか怒っているらしい。

 ただ、駆け寄ろうとしているのを麗華に止められ、少しすると向こうで待ってるとジェスチャーして人集りの向こうへ消えてしまった。

 きっとノエルたちに気を遣ってくれたんだね。守られた人と守りに入ったけど負けた人。介入する余地は無いだろうから。


「それにしても紫波崎さんって本当にノエルを大事に思ってるんだね。おかげで3発も殴られることになっちゃったし」

「……どういうこと?」

「僕もノエルとイヴが大事だから、殴られるくらい気にしないんだけど。頼まれちゃったら断れないよね」

「「……?」」


 訳が分からないと首を傾げる2人に、僕は先程の作戦を説明することにした。

 作戦と言っても予め決められていたものではなくて、パンチを避けている時にジェスチャーで殴られて欲しいと言われただけなんだけど。


「要するに、瑛斗くんはわざと殴られたの?」

「そうなるね。本当は2発のはずだったんだけど」

「……」ジー

「あ、血? これは自分で口の中を噛んだだけ。その方がやられた感出るから」

「どうしてそんなことしたの? 紫波崎たちだけでこの場は収められたはずだよ?!」


 余程心配してくれていたのだろう。腕を掴んで「どうして……」と聞いてくるノエルに、僕はその手をそっと離させながら答えた。


「もし次があったら、必ず守れる保証なんてどこにもないからだよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る