第358話
「
「ありがとうございます! あと、
「すまんすまん、ついうっかり忘れちまうんだ」
「師匠、次間違えたらって前に約束しましたよね?」
「し、師匠何も覚えてない……」
「逃げようとしても無駄ですよ」
工房から脱出しようとする暁良さんは、背後に忍び寄っていた
「弟子にしてくれますよね?」
「だから、俺は弟子なんて……」
「師匠は足の裏が弱いと聞きました。許してくれるまでこそばし続けてもいいんですよ?」
「そ、それだけは勘弁してくれ!」
「あなた、そろそろ観念したらどう?」
「くっ……少しだけ考えさせてくれ」
明日咲さんと山田さんはその言葉を聞いて暁良さんから離れると、「風鈴を自宅に送るから、伝票を書いてくれる?」と僕たちに微笑んだ。
「今すぐは持って帰れないんですか?」
「もう少し待てば無理ではないけど、まだ色んな場所を回るんでしょう? 割れると困るもの」
「なるほど、分かりました」
僕が首を縦に振るのを見て、
その音色が聞けないのは残念ではあるものの、割れる音の方が何十倍も聞きたくないので、運びのプロに
「伝票は向こうのお店にあるから」
明日咲さんに続いて店へと移動した僕は、他2人が別のものも買いたいと言うので、伝票を書き終えてもまだ考え込んでいる暁良さんの元へと向かった。
「どうしてそんなに悩むんですか?」
「……俺が風鈴作り体験を開いているのは、弟子を作ってこの文化を後世に受け継ぐためだ」
「それなら悩む必要はないじゃないですか」
「ああ、俺には悩む理由なんてない。でも、山田はもっと悩むべきなんだ」
「どうしてそう思うんですか」
「それは―――――――――」
話を聞いたところ、山田さんは医学系の大学に通っていたらしい。そこで優秀な成績を収め、将来は間違いなく腕利きの医者になると言われていた。
それなのに、大学を卒業したら大学院には行かず、彼女は両親の言葉も無視して沖縄に飛んだのだ。
「彼女の器用さは確かに創作に向いている。でも、それは誰かの命を救う手だ。文化なんて拘りに使っていいわけが無い」
「だから反対してたんですね」
「彼女が俺の作品を好きだと言ってくれるのは嬉しい。それでも、医者とこの仕事は正反対だ。俺が彼女の未来を潰すわけにはいかないんだよ」
筋肉に挟まれて悲鳴を上げていた僕でも、暁良さんの言っていることの意味は理解出来た。
理解出来たからこそ、彼が間違っていることも分かる。悩みすぎたがゆえに、見失ってしまっているだけだということも。
「僕の友達にアイドルをしている人がいます。彼女はずっと自分の仕事が嫌いでした」
「……ほう」
「でも、些細なことで大好きになったんです。それからは比べ物にならないくらいキラキラしていて、利益にならない仕事でも笑顔でやるんです」
「それは素晴らしい人だな」
誰だとは言わないけれど、僕は彼女のことを尊敬している。笑顔でいることは時に辛いが、彼女の笑顔は周りも彼女自身をも幸せにするのだから。
「他の友達は、ずっと自分じゃない誰かを演じていました。その方がいいと思い込んでいたんです」
「それは……苦しかったんじゃないか?」
「はい。最後には爆発してしまって、全部吐き出して。ようやく自分を愛せるようになった彼女は、今すごく楽しそうに笑っています」
彼女ほど大きな嘘をつき通そうとした人間を、僕はまだ他に知らない。
彼女は今も心の中に自分の亡き姉を住まわせているだろう。けれど、きっと2人とも幸せでいると断言出来る。乗り越えたのだから、思い出を。
「僕が言いたいのは、好きになるってすごく大事なことなんです。暁良さんと明日咲さんも、好きだからこそ工房を守ろうとしているんですよね?」
「……ああ、そうだ」
「山田さんは2人が守った工房を好きだと言った。なら、たとえ衰退の一途を辿るとしても、その片棒を担がせる理由は十分じゃないですか」
「しかし、それで彼女の未来が―――――――」
「潰された。そんなこと、思うはずがありません。風鈴作りを手伝っている時の山田さんの表情を見れば、師匠なら分からないはずはないですよね?」
あんなにもキラキラして、楽しそうで、それでいて腕を上げている。
まだ工房を任せられるレベルではないとしても、彼女の視界にもう医者という道はない。ただただ、いつか作りたい最高の作品を夢見ているのだ。
「それに、彼女は幾千もの心を救うんです。この文化を受け継いできた過去の人々の心を」
「瑛斗君……」
「ただの高校生が生意気なことを言ってすみません。でも、お願いですから山田さんの好きという気持ちを潰さないでください」
「……君の言う通りだ。俺はもう少し自己中心的になるべきだったのかもしれないな」
暁良さんはそう言うと、すぐに山田さんを呼びに走り出した。僕はその背中を見つめながら、小さな声で「頑張って下さい」と呟く。
そして帰り際、風鈴を褒められた時の何倍も輝いた笑顔を見せる彼女を見て、こちらまで嬉しくなってしまったことは言うまでもない。
「いつか、山田さんの作品も買いに来ようね」
「手の届かない値段になってないといいけど」
「私なら買い占められますけどね」
「……はぁ、イヤミを止められないのかしら」
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