第359話

 ガラス工房を出発してからしばらくして、僕たちは2つ目の目的地に到着した。

 世界最大級とも言われた巨大水槽を持つ、美ら海水族館である。ここは沖縄に来たなら立ち寄らないとね。


「大きなジンベエザメがいるわよ!」

紅葉くれは、あれはモニュメントだからね」

「わかってるわ。それでも、すごく大きいもの!」


 入館する前からはしゃいでいる紅葉を微笑ましく思いつつ、隣を歩いている麗華れいかと微笑み合いながら後を追いかけた。

 美ら海水族館と書かれた壁の前で記念撮影をした後、入口の近くで受け取った館内マップを見て、僕たちはお互いの顔を見る。


「入る前にレストランがあるみたいだね」

「時間もいい頃合ですし、先にお昼にしますか?」

「それがいいわね」


 そういうわけで、入口からは入らずに外側を回り、案内図通りに進んだ先にあるイノーという名前のレストランに入店した。


「何名様でしょうか」

「3名です」

「かしこまりました。こちらのお席へどうぞ」


 店員さんに案内されて座ったのは、偶然にも窓から海がよく見える席。本来なら青は食欲を失わせる色だが、ここまで綺麗だとむしろ湧き上がってくるね。


「ここはセミビュッフェスタイルみたいだよ」

「セミビュッフェ?」

「庶民で言うところのバイキングのことですよ」

「なるほど……庶民って言い方やめてもらえる?」

「たまには庶民の食事スタイルを真似るのも悪くありませんね」

「……ホテルに戻ったら覚えておきなさいよ」

「ふふ、返り討ちにしてあげます」


 早速肘でお互いを小突き合い始める2人を眺めつつ、「荷物は僕が見てるね」と先に食事を取りに行ってもらう。

 彼女たちはどうやら『どちらが美味しそうに盛れるか』という勝負を始めたらしい。お店の迷惑にならないといいんだけど。


「ケンちゃん、海綺麗だね」

「ああ。でも、君の方が―――――――」


 背後の席に座っているらしいカップルの会話が聞こえてくる。なかなかにベタな褒め方をしているようだ。

 けれど、そんなことすら言えない僕には、そのベタさを批判する権利なんてないよね。言えたら言えたで批判される側になるんだけど。


「アユ、僕たちは付き合ってもう5年になるよね」

「そうだね。学生時代からだから」

「そろそろいい頃合だと思うんだ」


 女性の方が「頃合って?」と問い返すと、男性がゴソゴソと漁るような音が聞こえてきた。

 この展開はまさかとこっそり振り返ってみれば、彼は白くて四角い小さな箱を取り出しているではないか。


「アユ、結婚しよう」


 そう、プロポーズだ。こういうのは夜にするイメージが強いが、こんな綺麗な海の前なら関係なく心がときめくのだろう。

 是非とも成功して欲しいと心の中で祈り始めてから十数秒後、女性の方が震える声で「……はぃ」と答えるのが聞こえた。


「ほ、ほんとうに?!」

「こんな時に嘘なんてつけない」

「なら、指輪を受け取ってくれるかな」

「もちろん」


 僕は今、新たな夫婦の誕生という素晴らしい瞬間に出くわしているわけである。

 周囲の客もこっそりと見守る中、嬉し泣きしかけている男性は箱から取り出した指輪を女性の薬指へと近付けていった。……しかし。


「……あっ」


 緊張しすぎて力んでしまったのか、指輪が手汗で滑って机の上に転がってしまう。

 慌ててそれを取ろうとした男性は、謝って指先で指輪を弾いてしまった。


「……」

「……」

「……」


 それだけならまだ拾えば済む話だったのだが、明らかにタイミングが悪すぎた。

 軌道を描きながら飛んだ指輪は、「綺麗に盛れましたよ!」と嬉しそうに近付いてきた麗華の持つ皿に突っ込んだのだから。


「す、すみません!」

「本当にごめんなさい!」


 カップルと夫婦の狭間にいる2人は、大急ぎで麗華に頭を下げに来てくれるが、彼女の影がかった表情は一向に晴れる気配はない。


「何ですか、このショボい指輪は」

「……へ?」

「こんな小さなダイアしかついていない指輪に、私の最高傑作が――――――――――」


 その後、男性が泣きそうになり始めた辺りで、僕は戻ってきてくれた紅葉と一緒に麗華を止めた。

 気まずくなったのか早足で帰る女性とよろけながら追いかける男性。今の一件で女性の気持ちが変わらなければいいんだけど。

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