第360話

 食事を終える頃には、麗華れいかの機嫌も右肩上がりに良くなり、紅葉くれはも気を遣って勝負の件には触れないでいてくれた。


「それじゃあ、ついに入館だね」

「そうですね」

「ふふ、早く行くわよ!」


 魚たちに会うのが待ちきれないのか、先に走り出してしまう紅葉。僕はそんな後ろ姿に頬を緩めつつ、同じく微笑んでいる麗華と共に建物に足を踏み入れた。


「チケットはあちらで買うようですね」

「丁度並んでないから、早く買っちゃおうか」

「高校生の欄は無いので、大人2枚と子供1枚ですね」

「ちょっと、誰が子供よ!」

「大丈夫です、通用しますから」

「そういう問題じゃないわよ!」


 麗華も本気でそんなズルをするつもりは無いらしく、「冗談ですよ」と3枚分のチケットを買って渡してくれる。

 それを受け取る代わりに代金を手渡していると、制服というなかなか目立つ格好の女性が入口から駆け込んできた。瑠海るうなさんだ。


「お嬢様、ようやく見つけました」

「どこに行っていたのですか?」

「バイキングのハンバーグがあまりに美味しかったので、持ち帰りは不可能かと質問を……」

「食いしん坊ですね。ハンバーグくらい自分でも作れるでしょうに」

「まだ用事があると答えると、帰るまでに腐る可能性があるからと断られてしまいました」

「それはそうですよ。ハンバーグなら私でも作ってあげますから、修学旅行が終わるまで我慢してください」

「お嬢様のハンバーグですか。それは……何年ぶりでしょう」

「ふふ、瑛斗えいとさんのために腕はあげていますから。期待してもいいですからね」

「楽しみにしています」


 そんな微笑ましい会話を終えた後、瑠海さんもちゃんとチケットを買って僕たちの後ろを着いて来てくれる。


「瑛斗さん、音声ガイド用の機械を借りられるらしいですよ?」

「魚の説明とかが聞けるやつだよね」

「おそらくは」


 沖縄に限らず僕は魚の知識なんて、マグロとカジキを見分けられる程度しかない。

 だからこそ、ガイドがあればより楽しめるだろう。しかし、それでも今日は要らないと首を横に振った。


「4人で来たんだから、皆の声が聞こえないとね」

「私もそう思っていたところです♪」

「紅葉もそう思うよね」

「……へ? あ、そうね」

「話聞いてなかったでしょ」

「き、聞いてたわよ!」

「ふふ、本当ですか?」


 明らかに動揺している紅葉の頭を撫でつつ、係の人にチケットを見せて僕たちは入館する。

 そこですぐ目の前に現れたのは、ヒトデやナマコなど浅い場所にいる生き物に触れることの出来るエリアだった。


「ヒトデに触るなんて、小学校の遠足で行った水族館以来ね」

「僕はネコザメに触れるところに行ったことあるよ」

「ネコザメって?」

「猫の舌みたいに体がザラザラしてるんだ。顔はあんまり可愛くはなかったけど」

「私も触ってみたいわね」

「いつか一緒に行こうか」

「ええ、約束よ」


 そう言いながらヒトデをツンツンと撫でていると、麗華が「私も誘ってくださいね?」と間に割り込んでくる。

 そんな彼女の横顔を見ていると、その奥でじっと水面を見つめている瑠海さんのことが気になった。何やら険しい顔をしているのだ。


「どうかしたの?」

「いえ、何も」

「何も無いのに怖い顔なわけないよ」

「……実を言うと、私はナマコが苦手なんです」


 話を聞いてみると、瑠海さんは小学生の時の臨海学校で、同級生の男子からナマコを大量に押し付けられたことがあったらしい。

 一匹ならまだしも十数匹を一気に渡され、水着の中にまで侵入してくる始末。それがトラウマとなり、今では触ることすら出来ないんだとか。


「あの時です。私が初めて殺意を抱いたのは」

「は、はぁ……」

「おかげで監禁生活を時短出来たんですけどね。まずは殺意を覚えるところから始まりますから」

「あの、一応生き物を扱う場所だからね。そういう話は控えない?」

「……失礼しました。続きはまた後ほど」


 そう言ってナマコ睨みを再開する瑠海さんに、僕は心の中で『続き、するんだ』と呟きつつ、無邪気に楽しんでいる紅葉と麗華に視線を戻すのであった。


「ひゃっ、ヌルヌルしてるわよ」

「これがキモかわいいってやつですか?」

「可愛いのかしら」

「まあ、見ようによっては」

「少なくともペットにはしないわね」

「ペットならもういい候補がいますから」

「……どうして私を見るのよ」

「いえ、お気になさらず」


 やっぱりたまにバチバチしちゃってるけどね。

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