第568話

 初日の出を見に行く準備を整え、懐中電灯片手にいざ出発と別荘を出た僕たちは、微かに聞こえるエンジン音に気が付いて足を止めた。

 真っ黒な車体、中が見えないようになっている窓、そして見覚えのあるナンバー。いつも紫波崎しばさきさんが運転している車だ。


「皆様、お待たせいたしました」


 運転席から降りてきた紫波崎さんがそう言いながら後部座席のドアを開くと、中から少し寝ぼけ眼なノエルが出てくる。

 実のところ、彼女は夜のうちに到着するはずだったのだ。ただ、テレビに映っていない間には色々あったようで……。

 少しでも早くこちらへ向かうため、ノエルは事情があるからファンサービスはしないと周りに伝えていた。

 しかし、深夜にも関わらず出口で待つファンの数は予想以上に多く、5人の警備員にもしものために待機していた3人の警官を合わせても止められなかったらしい。

 逃げるように車に乗り込もうとするも、「のえるたそー!」「ノエルちゃーん!」と名前を呼ばれると、どうしてもアイドルの本能がひょっこりはんしてしまい――――――――――。


「気が付いた時には、握手もサインも、写真撮影も全部引き受けちゃってたの……」

「アイドルの鑑だね」

「そのせいで到着が2時間半も遅れちゃった」

「車酔いもしたんじゃない?」

「うん、ちょっとだけ」


 ノエルがそう言いながらため息をこぼすと、視界の端で色紙を取り出していた瑠海るうなさんが、そっとスカートの中に入れ直した。

 メイドさんの中にファンの人がいるのかな。さすがに今はダメだと判断したみたいだけど……それより、スカートの中がどうなってるのか気になるね。


「今から初日の出を見に行くんだけど一緒に行く?」

「もちろん! 瑛斗えいとくんが行くなら行かない理由がないし」

「わかった。疲れてる状態で山道は辛いだろうから、遠慮なく僕を頼ってね」

「じゃあ、今からおんぶしてもらっても……」

「ダメよ」

「ダメです」

「えぇ……」


 早速助けを求めようとしたノエルだったけれど、残念ながら紅葉くれは麗華れいかに捕まって引きずられて行ってしまった。

 あの二人が支えてくれるなら、僕が手を貸す必要なんてなかったね。優しい友達が二人もいて、ノエルは幸せ者だなぁ。

 そんなことを思いつつ、早く早くとジェスチャーで急かすイヴを追いかけて出発する。

 ちなみに、晋助しんすけさんに関しては昼頃に仕事が入ったそうで、つい先程麗華と乗ってきた車で帰ったそうだ。

 お礼を言えなかったことは少し心残りだけれど、次にあった時に伝えればいいかな。少しは僕の印象も良くなったと思うし。


「皆さん、足元に気を付けてくださいね」

「イヴ様、懐中電灯代わりにお持ちしましょうか」


 瑠海さんと紫波崎さんもみんなを気遣ってくれて、暗くて見えないせいで何度か転びそうになったけれど、その度に助けて貰ってしまった。

 そんなこんなで何とか無事に目的地へ到着した僕たちは、間もなく太陽が顔を出す方向を教えてもらってそちらをじっと見つめる。

 すると、どうやらベストタイミングだったようで、暗闇だった東の空にほんのりとグラデーションがかかり始めた。


「…………」


 その場にいた全員が、美しいと思いながらもそれを言葉にすることを忘れていたと思う。

 空を占領していた深い青色は、もうオレンジ色によって西の空へと追いやられはじめ、さらにその存在感を高めていく。そして。


「……綺麗だ」


 真っ暗だった地平線に針で穴を空けたようにぽっと一筋の光が漏れた瞬間、その感動が吐息となって僕の口から零れ落ちたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る