第78話

 お姉さんによって1階に連れてこられた僕は、整理整頓されたキッチンを前に、キラキラした視線を浴びせられた。

 3時を示されたことから考えて、『おやつを作れ』と言うことらしい。別にお菓子作りは好きだからいいけど、人の家のキッチンでとなると、少しやりづらさを感じちゃうなぁ。


「まな板はここで、細かい調理器具はそこの引き出し。フライパンは大きさが3つあるから、好きなのを使っていいよ〜♪」


 そうは言っても、お姉さんは作ってもらう気満々みたいだし、この期待した顔を見てしまったら、今更無理ですとは言えない。

 何より、これは実技のテストらしいからね。紅葉くれはの友達として認めてもらうためだと思えば、断る理由もないだろう。


「わかりました。何を作ればいいですか?」

瑛斗えいとくんは何が作れるの?」

「飴とかクッキーですね。クッ〇パッドを見てもいいなら、大抵のものは作れます」

「おお!それなら、ミルクレープをお願いできるかな?くーちゃんの大好物なのよ」


 ミルクレープかぁ。作ったことは無いけれど、作り方を調べたことはある。上手くいくかは分からないけれど、この機会に試してみるのもありかもしれない。


「時間かかりますよ?」

「どれくらい?」

「本格的なものだと、冷やす時間がいるので少なくとも2、3時間くらいは」

「えっ?!」


 さすがに予想外だったのか、お姉さんは口元を抑えながら目を見開いていた。が、その視線はやがて、落ち込んだように床へと向けられる。


「私、お菓子作りがどうも苦手で……家でくーちゃんに好きなものを食べさせてあげられたらと思ったんだけど……」


 お姉さんは、「さすがに2時間は、瑛斗くんにも悪いわよね」と微笑んでみせると、僕に「別の簡単なものをお願いできる?」と聞いた。

 その引きった笑顔はどう見ても作られたもので、僕は思わず首を横に振る。その行動は紅葉のためというよりも、お姉さんのためだったのかもしれない。


「それなら、30分で作ります」

「え、でも……そんなの無理でしょう?」

「大丈夫です。クオリティは少し落ちますけど、美味しく作れるはずなので」


 確か、以前に調べた時に流し見したレシピの中に、冷やす時間を大幅に減らしたものがあったはず。

 かなり前だから、今探しても残っているかは分からない。それでも、頭の中に残っている手順を組み合わせるだけで、ある程度は作れるような気がしていた。


「じゃ、じゃあ……お願いします!私も手伝えることがあれば何でもするからね!」

「お姉さんは、僕が伝えた材料の用意をお願いします。まずは薄力粉を」


 「了解です!」と引き出しを開ける彼女を横目に、僕は大きめのボウルを用意する。その中へお姉さんが渡してくれた薄力粉を140グラムほど投入した。

 その次はグラニュー糖24グラムを目分量で入れていく。その様子に、お姉さんは目を丸くした。


「計らなくても大丈夫なの?」

「――――――お姉さんは財布からお金を落とした時、どうやっていくらなくなったのかを確認しますか?」


 卵を2個受けとり、それらを割ってボウルに投入しながらそう聞くと、お姉さんは少し困惑しながら首を傾げた。


「……財布の中身を見る、かな?」

「そうですね。あと、落ちた分を目で数えるという方法もあります。これは料理でも同じことですよ」


 料理をすることに慣れていれば、計りがなくてもある程度の重さがわかってくるもの。

 まあ、粉末状のものは多少多かったり少なかったりするくらいでは、そこまで酷い影響が出ないから、たとえ間違えていても気づかないんだけどね。

 牛乳は少なすぎると一大事なので、一度240cc分を計ってからボウルの中に注ぎ込み、それをハンドミキサーで1分から2分ほど混ぜる。


「これで生地の素が完成です」

「まだシャバシャバだけど、これでいいの〜?」

「混ぜすぎると良くないんですよ」


 その後はフライパンで薄い生地を何枚も焼き、出来上がったものを少し冷ましてから、生地と生地との間にクリームを塗りながら重ねていく。

 成形も兼ねて、今回は四角いタッパーの中で重ねることにした。はみ出た生地は内側に織り込み、すべての生地が入ったら上からグッと押し込む。

 最後に、タッパーの蓋を閉めて冷蔵庫で5分~10分冷やせば、お手軽ミルクレープの完成だ。



「そろそろ冷えましたね」

「切るくらいは私がやるわ」

「それじゃあ、お願いします」


 ミルクレープをお姉さんに任せて、僕は棚からお皿を取り出す。そこに4つに切ってもらったミルクレープをそれぞれ乗せ、余った1切れはラップをかけて冷蔵庫に戻しておいた。


「ちょうど30分ですね」

「すごいわね、瑛斗くんは」

「そんなことないですよ。まだ味を確かめていないですし」


 時計を見てみれば、時刻は3時40分。まだギリギリおやつ時と言ってもいいだろう。ひとまず約束が果たせたことに、僕はほっと胸を撫で下ろした。

 それと同時に、ガチャリと扉が開かれる。現れたのは、眠そうに寝ぼけ眼を擦っている紅葉だ。


「……あれ?瑛斗が私の家のキッチンで何してるの?」

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