第509話

 トカゲたちのお世話が終わり、そろそろ帰ろうかという頃。出ようとしていた小屋の扉が目の前で開き、見知った顔が現れた。


「あ、瑛斗えいとくんだ!」

「瑛斗くん、久しぶりやね」


 見知った顔……もとい、近藤こんどうさんと紫帆しほさんは、ノエルとイヴのクラスメイトだ。

 修学旅行では一緒に水族館を回ったりして、接点はそれだけではあるけれど、十分に二人がいい人だと認識できた。

 そんな彼女たちは僕に小さく手を振ると、にっこりと微笑みながらそれぞれが持っていた野菜の詰められた袋を見せてくる。


「ウチら、飼育委員として来たんやけど、瑛斗くんも同じ感じなん?」

「うん。ちょうど今終わったところだよ」

「あちゃー! ちょっと来るのが遅かったかぁ」

「2人だけじゃ手に余りそうなら僕も手伝うけど」

「いやいや、それは悪いわ!」

「気にしないでよ。飼育に興味も出てきたところだし、むしろさせて欲しいくらいだから」


 僕の言葉に顔を見合せた2人は、「じゃあ、お願いしてみる?」「せやな」という会話を経て、B組一日飼育委員の助っ人として迎え入れてくれた。

 ちなみに、バケツくんはお邪魔したら悪いからなんて言って先に帰っちゃったし、萌乃香はもう少しトカゲを眺めていたいとのこと。

 これ以上の人では得られそうにないが、一体どんな動物なのかと覗いてみた僕はその必要が無いだろうと安堵した。


「B組の動物はニワトリなんだね」


 飼われる動物としては、少なくともトカゲよりは定番であるはずのニワトリ。それも1羽だけ。

 これなら3人もいればそう手間もかからないだろう。柵の中に入るまでの僕は、そう信じて疑いもしなかった。

 しかし、きっと一度でもニワトリの世話をしたことがある人ならわかるのだろう。

 彼ら飛べない鳥たちが地に足をつけて頑張ってきた成果の全力疾走が、どれほどまでに人間を混乱させるかを。


「待ってよ、コッコちゃん」

「待て待てー!」

「はぁはぁ……これ、追いつかんわ……」


 バサバサと羽をはためかせながら、小さい体を活かして素早く捕まえようと伸びてくる手の間を抜けていくニワトリのコッコちゃん。

 運動があまり得意ではないらしい紫帆さんは既に息を切らしているが、それに対して近藤さんの方は楽しそうに走り続けている。

 さすがに僕も休憩が必要だと感じていて、頼れるのは彼女しか残されていないのだけれど、近藤さんはあまり頭会違法手間はないらしかった。

 だって、どれだけ逃げられようとかわされようと、延々と背後から追いかけるということしかしていないから。

 フェイントだとか先回りなんて考えは、少しも思いついていないようだ。

 よく言えば実直で素直、悪く言えばおバカ。僕は気を使って前者の言葉を選んだけれど、紫帆さんは「アホか」とどストレートを投げていた。


「アホじゃないし。天才の卵だし!」

「どこからその自信が湧いてるんや」

「胸の内から!」

「はいはい。とにかく、頭を使って捕まえるんや」

「頭を……?」


 アドバイスを受けてなるほどと言わんばかりに何度か頷いた近藤さんは、もう一度コッコちゃんと対峙して見つめ合う。

 それから何を思ったのか、突然頭をブンブンと振り回して髪を振りまくった。

 一体なんの儀式が始まったのかと驚いたのも束の間、その激しくて奇怪な動きに恐れをなしたらしいコッコちゃんが降伏。

 トコトコと歩み寄ってきて、『煮るなり焼くなり好きにしろ』とばかりにぐったりとしてしまう。


「すーちん、ようやったな」

「ふふふ、言われた通り頭を使ったからね!」

「……いや、頭を使えって物理的にやないからな?」

「…………わ、分かってるし!」

「随分反応が遅かった気がするけど?」

「う、うるさいうるさい! 捕獲出来たんだからいいでしょうが!」

「すーちんがそれでいいなら」

「どれだけカッコ悪くても、私は私のやり方で山を乗り越える!」


 手のひらで優しく持ち上げたコッコちゃんを掲げながらそう言って見せた彼女に、紫帆さんが「口だけは一人前やな」と少し呆れていたことは言うまでもない。

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