第84話

紅葉くれは、おはよう」

「ええ、おはよう」


 いつも通りの挨拶をして、僕らは横断歩道の信号待ちをする。

 暇だったから調べてみたんだけれど、この辺りの信号って、毎日午前二時に調整されているらしくて、日による誤差がほとんど無いらしい。

 いつも同じように赤信号で立ち止まるなぁとは思っていたけれど、そういうことだったんだね。


「あれ、紅葉。ちょっとこっち向いて」

「私がどうかした?」


 首を傾げながらも、言われた通りこちらに体を向けてくれる紅葉。僕はそんな彼女の足先から頭のてっぺんまでを一通り観察すると、「やっぱり……」と呟いた。


「紅葉、ミルクレープ食べて太ったでしょ」

「はぁ?! ふ、太ってないわよ!」

「そう?少し丸くなったように見えるんだけどなぁ」

「そ、それは寝不足で顔がむくんで……やっぱりなんでもない」


 彼女はぷいっと顔を背けると、信号が青に変わった横断歩道をスタスタと歩いていってしまった。


「隠さなくてもいいのに。カナから話は聞いてるんだから」


 僕はスマホを取り出して、つい先程届いたメッセージを開く。そこには、『紅葉先輩にいじめられた』という内容の文に続いて、嫌々撮られたらしいコスプレ写真が送られていた。


『コスプレ、見られたくないんでしょ?どうしてわざわざ僕に画像を送るの?』


 そう返信してみるとすぐに既読が付いて、『先輩が見たがっているかなと思ったんだよ〜♪』と返ってくる。

 メッセージは2人きりの会話なのに、女の子バージョンの話し方をしてるってことは、きっと近くに誰かが居るんだね。

 カナは用心深いから、画面を覗かれても大丈夫なようにしてるみたいだったし。

 でも、だからこそ紅葉に男であることがバレたと聞いた時にはさすがに驚いたよ。おまけにコスプレ趣味までバレて、それをネタに紅葉にいじめられているらしい。

 まあ、彼女が本当にいじめなんてしない人間だってことは知っているし、きっとカナが大袈裟なだけだろう。

 僕にカメラを持たせた時は、あんなに生き生きしていたのになぁ。今度会ったら、人によって態度を変えるのは良くないって教えてあげないとね。


『別に見たくはないかな』

『先輩、酷いなぁ〜♪』

『どうせなら写真より実物がいいよ』


 そう送ると、既読がついて少ししてから、『先輩なら、いつでも見せてあげますけど?』と返ってきた。

 本当はコスプレにそこまで興味はないけれど、こういうのは社交辞令だからね。相手を少し喜ばせるくらいのことを言っておけばいいんだよ。

 まあ、『じゃあ、紅葉と一緒に見に行くね』と伝えたら、それ以降返信は来なくなっちゃったけど。


「―――――――あ、赤になっちゃった」


 僕はようやく進み出そうとした足を引っ込めて、もう一度信号が青になるまで、黄色い線の内側で待つことにした。

 少し離れたところにある歩道橋に行っても良かったけど、なんだかんだ普通に渡る方が早かったりするもんね。



 学校に着くと、紅葉はいつもの寝たフリとは違って、デバイスをいじっていた。こっそり覗き込んでみると、いつかに聞いたあのゲームをしているらしい。

 自分の机にカバンを置いて彼女の元へ戻ると、僕は早速思い出したことを聞いてみた。


「そう言えば、そのゲームであれから1位は取れたの?」

「あら、いつの間にか来てたの。瑛斗は私と違って細いから、見えなかったわね」

「それ、さっき太ったって言われた分の仕返し?」

「……違うわよ」

「大丈夫、紅葉は太っても可愛いよ」

「っ……太ってないって言ってるでしょ!」

「怒っても可愛いよ」

「う、うっさい!私をからかってるの?!」


 褒めてるつもりなのに、何故か怒られてしまった。僕は誤解を解くべく、デバイスに保存しておいた画像を彼女に見せる。

 それは今朝、ニュース番組の最後にある星座占いの結果。僕は今日、下から2番目の順位だったんだけれど、『身近な人に優しくするといい』って書いてあったんだよね。

 こんな感じで運気が上がるのかは分からないけれど、きっとやらないよりかはマシだろう。


「……あなた、こういうの信じるタイプなの?」

「紅葉、人生はバカになった方が楽しい時もあるんだよ」

「深いこと言ってそうだけど、普通にカッコ悪いだけよ?」

「後輩に無理矢理コスプレさせて、涙目になってる写真を見て喜んでるのはかっこいいの?」

「っ……ど、どうしてそれを……」


 僕の言葉に、目を見開きながら表情を歪める紅葉。後半はほとんどカマかけだったけれど、この反応からしてどうやら図星だったみたいだね。


「確かにカナは何でも似合うから、着せたくなる気持ちはわからなくはないけど、泣かせるのはどうかと思うよ」

「うぅ……わかった、もうしないわよ!……多分」

「そっか、紅葉は後輩を泣かせるのが好きなんだ?紅葉は後輩を泣かせるのが―――――――――」

「はいはい、わかったから!絶対しないって約束すればいいんでしょ?!」


 紅葉は叫ぶようにそう言うと、周りからの視線に耐えられなくなったのか、早足で教室の出口へと歩き出した。

 これでカナの困り事も解消できたし、久しぶりに先輩らしいことをしたような気がするなぁ。

 そんなことを思いながら満足感に浸っていると、扉を出ようとした彼女がスライド式扉のレールに足を引っ掛けて、盛大に転んでしまった。

 そんなことがあれば、自然と野次馬は集まってくるもの。十数秒のうちに、紅葉は見知らぬ生徒たちに囲まれてしまう。

 転んだせいか、人に注目されてしまったせいか、彼女が目に涙を浮かべているのが見えると、僕は咄嗟に人混みの中へと飛び込んでいた。

 そして中心に座り込んだままの紅葉に歩み寄ると、そっと手を差し伸べながら言う。


「転んだ紅葉も可愛いよ」

「……うっさい」


 僕らはそのまま集団から抜け出すと、逃げるように廊下を走り出した。

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