第191話

 麗華れいかが部屋を出て行ってから数分後、紅葉くれははポッキーと漫画を交互に見ながら不思議そうな顔をしていた。


「どうかしたの?」

「……」


 紅葉は何も言わずにポッキーを口に咥えると、それをぴょこぴょこと動かして何かをアピールしてくる。

 食べるのを手伝えという意味かと思い、口の中に押し込んであげようとすると、彼女は「んぐっ?!」と咳き込んでしまった。


「何するのよ!」

「食べたかったんじゃないの?」

「違う、これよこれ!」


 紅葉はそう言って、読んでいた漫画の1ページを開いて見せつけてくる。

 そこには男女がポッキーの両端から食べていくシーンが描かれており、これをポッキーゲームと呼ぶらしい。


「したいの?」

「……ダメ?」

「別にいいよ」


 OKを貰えた紅葉は嬉しそうに新たなポッキーを咥え、そっと僕の口元に差し出してくる。

 身長差のせいで上から圧をかけるみたいになっているからか、彼女はなかなか始めようとしなかった。


「紅葉、大丈夫?」

「だ、大丈夫よ……」


 背中を押された彼女はようやく一口食べ、僕もそれを見て一口目を食べる。

 それから4口目までは順調に食べられたものの、そこで紅葉の動きが完全に停止した。

 緊張しているのか、荒くなった吐息の熱でチョコが解けて顎に伝う。

 僕は床に垂れないようにと手で止めるが、突然顎に触れられた紅葉は驚いて口を離してしまった。


「あ、紅葉の負けだね」

「ず、ずるいわよ!」

「何が?」

「触ってきたから……」


 頬を膨れさせる紅葉に、僕は顎のチョコを指で拭って「垂れてきてたから」と見せてあげると、彼女は「そういうことだったのね」と納得してくれた。


「手が汚れちゃったよ」

「……待って」


 手を拭くためにティッシュを取ろうとすると、紅葉はそんな僕を呼び止めて手首を掴む。

 そしてチョコのついた指をじっと見つめると、何を思ったのかパクッと咥えてしまった。


「紅葉、何やって――――――」

「わらひがひれひにすふの(私が綺麗にするの)」

「そ、そう……」


 これには僕も戸惑ってしまうものの、無理に指を引き抜こうとしても紅葉が手首を離してくれない。

 諦めて大人しくされるがままにしていると、指が人の口の中にあるという不思議な感覚に、背筋がゾワゾワしてきた。


「紅葉、もういいよ」

「もふすほひらへ(もう少しだけ)」

「……うん」


 彼女は言葉通りもう少しだけ舌で指の腹を撫でた後、「ぷはっ……」と顔を真っ赤にしながら口を離した。


「ありがとう?」

「どういたしまして?」


 お互い疑問形でそう言い合ってから視線を逸らす。何なんだろう、ずっとこの胸の中にあるモヤモヤは。


「ふぅ、御手洗お借りしました……って、2人ともどうしたんですか?」


 トイレから戻ってきた麗華が、ぼーっとしている僕たちを見てそう聞いた。

 すぐに「何でもないよ」と返すも今度は騙しきれなかったようで、彼女は机の上にあったポッキーを怪しむように手に取る。


「もしかして、カップルみたいなことしてたんじゃ……」

「そ、そうよ! 何か悪い?」

「悪いなんて言ってませんよ、ウザイなと思っただけです♪」

「ウザイってあなたねぇ……」


 文句を言う紅葉を無視して僕の膝の上に座った麗華は、袋の中からポッキーを一本取り出してにっこりと微笑んだ。


東條とうじょうさんとできるなら、私ともできますよね?」

「それはして欲しいってこと?」

「いいえ、するってことです♪」


 彼女は口にポッキーを咥えると、腕の動きを封じるようにギュッと抱きつきながら、反対側の先っぽを僕の上唇と下唇の間に滑り込ませる。


「ちょっと、白銀しろかね 麗華れいか?!」

「東條さんは大人しくしていてください。私はちゃんと最後までやりますから、ね?」


 この状況を楽しむかのように細められる瞳。僕が動けないでいるにも関わらず、麗華の顔はどんどんと近付いてくる。


瑛斗えいとさん、東條さんとキスしたんですよね?」

「知ってたの?」

「2人の雰囲気を見ていれば分かります。明らかに縮まってるじゃないですか、心の距離が」


 麗華は「でも……」と一瞬悲しそうな顔をすると、もう一口食べ進めて額同士をピッタリとくっつけた。


「許しませんよ、私だけ仲間外れなんて」

「っ……」


 最後のひと口を食べ終えた瞬間、唇同士が触れ合う音が部屋の中に響く。

 麗華は僕から顔を離しながら紅葉の方を見ると、心底満足したような表情で言った。


「キスって……こんなに甘いんですね♪」

「し、白銀 麗華!」

「そんなに怒らないでください。瑛斗さんは東條さんの物ではありませんよ?」


 確かにその通りだ。僕は誰のものでもないから、誰も文句を言う資格はない。

 けれど、張り合うために目の前でキスをするというのは、あまりにも精神面に与えるダメージが大きすぎるんじゃないだろうか。


「麗華、僕はしていいなんて言ってないよ」

「……瑛斗さんに拒む権利なんてありますか?」

「どういう意味?」


 彼女は唇についたチョコを指で拭いながら、さぞ当たり前かのように言ってのけるのであった。


「私から嘘つきの『麗子レイコ』を消したのは瑛斗さんですよ? 責任は取って頂かないといけませんね?」


 そのどこか歪んだ愛情表現に、僕は紅葉の時とは別の意味で頭を悩ませることになる。

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