第369話

 深海への旅という名前なだけあって、このエリアは照明が暗めに設定されている。

 ここにいる魚たちはみんな、これよりももっと光のない場所で生きていたのかと思うと、世界の幅広さに思いを馳せちゃうね。


紅葉くれは、大丈夫?」

「え、えぇ……」

「ゆっくりでいいからね」


 深い場所へと潜っていくような神秘的なこの空間。

 暗い場所が苦手だからなのかそれとも一歩進む度に不安になるからなのか、途中で頼るような視線を向けてきた紅葉を、僕は今支えながら歩いている状態だ。


「私も暗いのが苦手なら、瑛斗えいとさんに支えてもらえたんですけどね」

麗華れいかのことも後で支えてあげようか?」

「あとっていつです?」

「建物から駐車場までかな」

「……介護されてるみたいになりますよ」

「それもそうかも」


 見た目的に老齢介護出ないことは明白だけれど、腰を痛めた可哀想な子と思われても困るからね。

 僕が心の中でそう納得していると、麗華は「出来れば私と築く家庭を支えてもらえると嬉しいのですが♪」とニッコリ微笑んだ。


「そんなの私が許さないわよ!」

東條とうじょうさん、そんなこと言ってる余裕あります? ほら、すぐ後ろに」

「ひっ?! な、何も無いじゃない!」

「こういうのは振り返って安堵した後、前を向いた時に現れるものなんですよ」

「……瑛斗、何もいないわよ……ね?」

「何もいないこともないかな」

「ど、どっちなのよ!」

「麗華がいる」


 驚かそうと待機していたらしい麗華が不満そうな声を漏らすと、恐怖心を煽られて怒り心頭な紅葉は、お馴染みのグーパンチをノールックで放つ。

 しかし、僕はいつももろに受けてしまうその攻撃は、麗華によって簡単に受け止められてしまい、2人の睨み合いが始まった。


「そんなパンチじゃハエも殺せませんよ?」

「軽く痛みを与えようと思っただけよ。まさかとは思うけど、本気のパンチを食らいたいのかしら」

「いくらでもどうぞ。ただし、私にはメイドがついていることを忘れないでくださいね」


 彼女がパチンと指を鳴らすと、足音も立てずに駆け寄ってきた瑠海るうなさんが僕の頭の上を飛び越えたかと思えば、主人の隣にスタッと着地する。

 スカートで飛んだから思いっきりパンツ見えてたけど、この人的にはOKなのかな。言ったら手にかけられそうだから口にはしないけれど。


「紅葉様、ここはお引きになられる方が賢明かと。私もお嬢様のご友人に手を上げるようなことはしたくありませんので」

「そう言いながらお尻叩いてきたじゃない……」

「どうやら戦う意思があるようですね?」

「……無いわよ、引けばいいんでしょ」


 紅葉は拳を下げながら、「少しカッとなりすぎたわ」とそっぽを向きながら謝る。

 その意外な行動に目を丸くした麗華も、「私も羽目を外したのかもしれません」と軽く頭を下げた。


「ふふ、お嬢様は紅葉様のことがお好きなのですね」

「そんなわけないでしょう? ただのライバルです」

「では、東條様のお話を聞かせていただいた時の楽しそうな表情はなんだったのですか?」

「そ、それは……瑠海が嬉しそうに聞くから……」

「お嬢様が対等なご友人の話をするなんて、あの時が初めてでしたから。見守ってきた者としてそれ以上の幸せはありませんので」


 瑠海さんの言葉に、麗華は「うぅ……」と唸りながらも丸め込まれていく。

 その様子を見ていた紅葉が「私は白銀しろかね 麗華れいかを友達だと思ってるわ」と言ったものだから、とうとう諦めて認めてしまった。


「友達であることは認めます。ですが、この繋がりは瑛斗さんを取り合っているからこそ存在しうるものですから!」

「分かりきっていることを言わないでもらえる? 瑛斗が居なければ、あなたとは関わることすらなかったんだもの」

「要するに、僕のおかげで2人はお互いを認め合えたんだね。もっと感謝してもいいよ?」


 冗談のつもりでそう言ってみれば、2人は突然真剣な顔で見つめてくると、何言ってるんだと言いたげに深いため息を零す。


「瑛斗が居なきゃ、私は自分に絶望するところだったのよ。とっくに感謝しまくりよ」

「瑛斗さんのおかげで私は本当の自分を思い出せたんです。身を捧げるほどの感謝をしていますよ?」

「……2人ともちょっと感謝が重いかもしれない」

「好きにさせた責任は絶対に取らせてやるから」

「最後にはどんな手段を使ってでも……です♪」


 ジリジリと迫ってくる2人によって壁際に追い詰められていく僕の様子を、瑠海さんは心底楽しそうに眺めていたことをここに記しておこう。

 まあ、2人のタカが外れかけた時には、いつの間にか助け出してくれていたけどね。


「少しは抵抗する力をつけたらどうです?」

「瑠海さんが特訓してくれるなら考えるよ」

「終わる頃には体の何パーセントが残っているでしょうか、楽しみですね」

「……やっぱり辞退します」

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