第370話

 僕が恐ろしい特訓をほのめかされたものの、瑠海るうなさんは「冗談ですよ」と気が向いたら近所のジムを紹介すると言われた後のこと。


「そう言えば瑠海、どこに行っていたのですか?」


 つい数分前まで姿を消していた瑠海さんに麗華れいかがそう聞くと、彼女は「タッチプールでの触れ合いの後……」と話し始めた。


「手を拭こうとした時に、ハンカチを車に忘れてしまったことに気付きまして」

「取りに行っていたのですか。それにしてはやけに時間がかかりましたね」

「お嬢様を探していた途中、ソフトクリームの機械が止まらなくなったと焦る店員を見かけたんです」

「……ああ、あの方ですか」


 確かにカフェで機械トラブルが起こったと言っていた店員さんは、やけに急いでいる様子だった。

 止まらなくなったというのは、ソフトクリームの素がある限りは延々と排出し続けるだけの暴走マシーンと化したということだろう。


「誰も手を差し伸べる様子がなかったので、暗殺者学校でアイス職人と呼ばれた私が助けることにしました」

「そんなあだ名もあったんだ。作るのが上手だったとかなのかな?」

「いえ。私と目が合った生徒はみんな凍りついたように動かなくなるので、それを揶揄やゆしてアイスと」

「……なんかすみません」

「ただ興味があるから見ていただけなんですけどね。いつの間にか血も涙もない殺戮マシーンだと噂されていました」

「あの、その話は後にしませんか?」

「私は優しいので、その噂を本物にしてあげたんです。卒業試験では何人の同級生出来損ないを手にかけたか」

「本当に血も涙もないですね」

「今の私には褒め言葉ですよ」


 真顔のまま淡々とそう言ってのける様子に、僕は思わず瑠海さんの靴を見てしまう。

 あそこにナイフが収納されているのだから、彼女がその気になればここは一瞬で地獄に変えることだってできるのだ。


「すーちん、変な魚おるよ」

「ほんとだ! これは食べる気にならないね」

「食いしん坊かて。ウチは見てるだけで満足やわ」

「私も見てるだけでいいかも」

「……なんでウチを見ながら言うん?」

「なんでだろうねー?」

「ちょ、危険な匂いがするから近付かんといて!」

「うへへ、おまえうまそうだな」

「それ結局食べへんやつやん」

紫帆しほちゃんは私の鑑賞用だもん」

「あんま見んといて、照れるやん」

「えー、身体のほくろの数も知り合った仲じゃん?」

「変な言い方すんな!」


 殺伐としたオーラを放つ瑠海さんから目を逸らし、相変わらずイチャついているふたりを見て心を穏やかにする。

 彼女たちのおかげでなんとか中和された空気の中、麗華は話の続きするように促した。


「私は排出されるソフトクリームを食べ続けることで、床に落ちるという惨事を防ぐことにしました」

「お腹壊すよ」

「その作戦を初めて6分後、ソフトクリームを巻いて60年という老人が現れたのです。なんやかんやあって、ソフトクリームを高く巻く勝負をすることになりました」

「そのなんやかんやが気になるね」

「老人は48巻き、私は76巻きして勝利した後、その方から店を継がないかと相談されたので、お嬢様に呼ばれたことを理由に断ってきたのです」

「……なるほど」


 途中からよく分からない展開になっていたけれど、簡単にまとめると人助けをしたら勝負に巻き込まれて逃げてきたってことだろう。

 ところで、瑠海さんの話を聞く限りだと彼女はつい先程までカフェにいたことになる。麗華が普通の声量で名前を口にしたのを聞いたというのだから、やっぱり彼女は普通の人間じゃないね。


「瑠海、機械の方は大丈夫だったのですか?」

「ちょうどソフトクリームの素が無くなったので、あとは業者の到着を待つだけと聞きました」

「それなら良かったです。人助けご苦労様」

「お褒めに預かり光栄です」


 従者の頭をポンポンと撫でた麗華は、「そろそろ進みましょうか」と背中を向けて歩き出す。

 しかし、瑠海さんはすぐに「お嬢様」と呼び止めたかと思えば、何やら腹部を押えながら相変わらず淡々と言うのだった。


「御手洗に行ってもよろしいでしょうか」

「……ええ、構いませんよ」


 この時、僕はようやく理解したよ。小学生の時に母親から『アイスは1日1本』と言われていた理由を。

 まあ、こっそり隠れて食べてたけどね。

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