第407話

 一度、近くの席に腰を下ろして萌乃花から事情を聞いてみたところ、思った通り彼女は誰かからプールに誘われないかと期待していたらしい。

 これだけを聞くと痛い子のように思えるけれど、考えてみれば彼女はこんななのにと言っては悪いがS級だ。

 そもそもらチケットを優先的に受け取ることのできた立場だと言うのに、どうしてGETできなかったのだろうか。


「その、実は……欲しいと言われたので、プールは得意じゃないんですと言って譲ってしまったんです……」

「なるほど、そういうことだったんだね」

「本当はすごく行きたかったんですけど、我ながら自分の意思が無いというか……」

「そんなことない。萌乃花は優しいから自分を犠牲にするって意思を貫いただけだよ」

「えへへ、そんな大層なものじゃありませんよぉ♪」


 少し褒めただけで元気になったところはチョロすぎる気もしなくは無いけれど、とにかく落ち込んだままにせずに済んだのは良かった。

 そして僕たちはちょうど1人分の入場枠を余らせているわけで、僕としては是非とも迎え入れてあげたいって気持ちなんだけど―――――――。


「じゃあ、桃山さんもご一緒しますか?」

「どうせ誰も入る予定はないんだもの、使った方が私たちもお得感があるわよね」


 紅葉と麗華もそれは同じらしい。

 2人はそこまでよく知っているわけでもないであろう萌乃花に手招きをすると、イスから立ち上がってプールの方へとつま先を向けた。

 彼女たちが寛容な人間でよかったよ。さっきも言ったけど萌乃花もS級なわけで、かつての紅葉と麗華のようにいがみ合ってもおかしくないんだからね。

 やっぱり彼女の朗らかな雰囲気がそうさせているのかもしれない。本人はそのことに全く気付いてないみたいだけど。


「ほら、瑛斗も行くわよ」

「あ、うん。ぼーっとしてただけ」

「しっかりしてくださいね? せっかくのプールでぼーっとするなんて勿体ないですし」

「わかってる、気をつけるよ」


 僕は余計な考え事はやめて、目の前にある優しい光景から感じることだけを事実だと思うことにした。

 萌乃花もウキウキしてるのが全身に溢れ出ちゃってるし、今は全力で楽しむことだけを優先しよう。

 そう心に決めて、先を歩くみんなに足早で追いついたのだった。まあ、更衣室が違うからすぐ別々になったけどね。

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「いらっしゃい! 水着や浮き輪のレンタルはこっちだよ!」


 水着はどうするのかという疑問は前からあったけれど、更衣室に入るとレンタルする場所が視界に入る。

 男性用更衣室なのに女性ものまで置いてあるのかと疑問に思っていると、お兄さんに「そういう人も来るかもしれないからね」と言われた。

 さすがセンシティブな時代だね。ここならカナが来ても安心して同じ更衣室に入れるよ。……まあ、僕は色々思うところがあるだろうけど。


「やあ、ボーイ。いいのが揃ってるけどどれにする?」

「……あ、ボクのことですか?」

「他にレンタル待ちのお客さんはいないだろ?」

「確かにそうですね」


 見たところ、僕と同じくらいのタイミングで入ってきた人は、自分の水着を持ってきていたらしくもう着替え始めている。

 この季節は沖縄でも泳ぐような水温じゃないと聞いていたから、もちろん僕は持ってきていない。そのためにこうしてお兄さんと話しているわけだけど。


「じゃあ、この黒色のやつでお願いします」

「ん? ああ、これは俺がさっき脱いだやつだよ」


 何だかあまり関わらない方が良さそうというセンサーが既にけたたましく警報を鳴らしていた。

 僕は心の中で『何てものを置いてくれてんだ』と呟いてから、ひと呼吸置くもやっぱり堪えられないなと実際に言葉にして吐き出しておいた。


「何てもん置いてくれてるんですか」

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