第408話

「何てもん置いてくれてるんですか」


 僕の言葉に対するお兄さんの返しは、「品揃えがいい方が楽しいだろ?」というものだった。

 呆れてものも言えないとはまさにこの事かもしれない。悪びれる様子がないところもタチが悪いよ。


「僕は真実を知ったことでその楽しさが削がれましたけど」

「そんなこと言わないでくれよ。ほら、気に入ったなら半額でレンタルさせてあげるからさ」

「1000円払われても人の脱ぎたては履きません」

「それなら他のを選んでもらうことになるけど」

「脱ぎたてよりマシですね」


 そう言いながら商品に視線を向けて気付いたけれど、どうやらこの店は水着によってレンタル代が変わるシステムらしい。

 安いのが1500円、真ん中が2500円、高いのが3500円。お兄さんの脱ぎたては一番安いグループのやつだ。

 ただ、ひとつ気になることがある。安いから仕方ないのかもしれないけれど、1500円の水着が全体的にダサいのだ。

 ピンクのハート柄だったり、ゆるキャラみたいなユルいドクロがやたら書いてあったり、『水着』とおしりの部分にプリントされていたり。

 お兄さんの脱ぎたてだけはシンプルな黒一色で、唯一僕が履きたいと思える柄だったんだけどなぁ。


「……まさかとは思いますけど、わざとじゃないですよね?」

「何がかな?」

「安いのが履けないなら高いのを借りるしかない。そう客を誘導する作戦かと思ったんですけど」

「そ、そんなわけないだろう? そもそも、柄を選んで買ったのは支配人だし」

「ああ、あの人ならこのセンスも有り得そう……」


 お掃除ロボットにゴミだと勘違いされて追いかけ回されるような人だもんね。

 悪いとは思いながらも納得しつつ、そう言えばと思い出して僕は紅葉からもらった『チケットの端っこについてた付添い者券』をお兄さんに渡す。

 受付のところでレンタルの際は渡すようにと言われていたのを忘れてたよ。


「なんだ、チケットを持ってたのか。それならレンタル代は無料だから、一番高いのから選んでいいよ」

「なかなか良心的ですね」

「まあ、宿泊費だけでかなり多めに取ってるからね。レンタル代を無料にした程度じゃうちの経営はビクともしないよ」

「あれだけ人件費削減すれば……って、お兄さんは人間ですよね? アンドロイドとかじゃなくて」

「ああ、俺はホテルの経営者とツテがあるんだ。そこまでいい給料じゃないけど、あと1年だけって約束で何とか残してもらえた」


 あと1年だけということは、優しいように見えてかなり厳しいんじゃないだろうか。

 大学生でも内定を取れない人がいるくらいなのだから、こんなところでレンタルのお仕事を専門にやっていても、接客面でしか成長はしないだろうし。

 お兄さんの雰囲気からしても、オフィスワークが得意という風にはどうしても見えない。意外な才能が隠れてるのかもしれないけれど。


「俺さ、実家が旅館やってるんだよな」

「は、はぁ……?」

「でも、昔ながらのって感じで古臭くてさ。それで逃げるようにここまで来たんだけど、跡取りが俺だけだから困ってるらしくてな」

「それは大変ですね」

「だろ? だから戻ろうかとも思ったんだよ。でも、俺に親父みたいな仕事なんて出来るわけないし、諦めてこのまま別の場所で……ってな」


 お兄さんは深いため息をつくと、「ごめんな、聞いてくれそうな雰囲気だったからつい口が滑った」と後ろ頭を撫でながら苦笑いをした。

 そんな顔を見せられたら、僕だって無下にすることが出来ないではないか。仕方ない、使えるかも分からないけど助言っぽいことでもして期待に応えておこう。


「お兄さんは初めて自転車に乗った時、誰かに助けてもらいましたか?」

「え? まあ、親父に支えてもらってたかな」

「今はどうです?」

「もちろん一人で乗れるよ」

「誰だってそうです。久しぶりに乗っても、自転車の乗り方ってのは体に染み込んでるんですよね」

「……ん?」

「要するに、仕事だって同じようなものなんじゃないかってことですよ」

「ああ、なるほど……」

「お父さんが元気なうちに安心させてあげられるようにたくさん教わる。それって、今からでも遅くないんじゃないですか?」


 僕の言葉にハッとしたような目をした彼はしばらく俯くと、何やらウンウンと頷いてニッと笑った。

 どうやら悩みは案外あっさりと解決したらしい。僕が働いたことなんてないって話は胸の中だけに閉じ込めておいた方が良さそうだ。


「俺、来週実家に帰るよ」

「それがいいと思います。とりあえず、元気な顔を見せるだけでも喜ぶでしょうから」

「いやぁ、年下からこんなに勇気を貰えるとはね。おまけするからこの水着も持ってく?」

「脱ぎたて押し付けないでください」


 差し出された水着を押し返すと、代わりに別の水着を渡された。柄こそ落ち着いているけれど、触り心地がとてもいい。

 なんだ、ちゃんとしたのも置いてるんじゃないか。僕が心の中でそう呟いたことは言うまでもない。


「じゃ、楽しんでこいよー!」

「言われなくても楽しみますよ」

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