第409話

 僕がプールサイドに出ると、お兄さんと話して遅くなってしまったせいで既に女性陣3人が待ってくれていた。


「先に遊んでても良かったのに」

「そういうわけにはいかないわよ」

「こういうのはみんな同時ってのが大事なんです」

「ですです♪」


 3人とも優しいなぁと思いつつ、よほどウキウキしているのかリズミカルに体を揺らしている萌乃花ものかの方へと視線を向ける。

 レンタルの水着だろうから感想はいらないと思っていたけれど、彼女の水着姿は始めてみるから何か言った方がいいのだろうか。

 こういう時の対処法が書かれた本が売っていれば熟読すると言うのに。誰か出してくれないかな。


「萌乃花、よく似合ってるね」

「そ、そうですか? えへへ、紅葉くれはちゃんが選んでくれたんです♪」

「へえ、いいチョイスだと思うよ」


 少し照れている紅葉を楽しそうに見つめる萌乃花だが、彼女は「ただ……」と呟いて視線を自分の胸元へ落とした。

 それから悩ましげに唸ると、短いため息をこぼしながら呟く。


「大きさが少し合っていなくて。一番大きなのを選んだんですけどね……」


 言われてみれば確かに彼女の胸が窮屈そうに見えなくもない。あまり凝視するのも悪いだろうから、そうよくは見れてないんだけどね。

 そんな状態で泳いだり遊んだりするのは少し不便かもしれないが、合う大きさがないのだから仕方がない。

 せめて、萌乃花に変化が起こっていないかを確認しながら遊ぶことにしよう。水着が弾け飛んだりしたら大変だろうし。


「萌乃花ちゃん、大丈夫よ。胸が少し苦しい程度で倒れたりなんてしないわ」

「サイズが合わない程度、どうってことありません。なんなら私のと交換しましょうか?」


 胸のこととなると途端に怖くなる2人が萌乃花に笑顔で圧をかけているけれど、僕は彼女たちをそっと宥めて落ち着かせる。

 本当に困ってるみたいだし、変な嫌がらせはやめてあげて欲しい。


「まあ、遊べないくらい苦しくなったら教えてよ。僕が2人を説得して手助けさせるから」

「ほんとですか? ありがとうございます!」

「せっかく一緒に来たんだから、どうせなら楽しんで欲しいだけだよ」

「その気持ちだけでご飯3杯はいけちゃいますよ♪」

「それはよかった、のかな?」


 よく分からないけれど、とりあえず前向きになってくれたということで僕も喜んでおこう。

 そう気持ちを切り替えてプールの方に目をやると、ここは本当にホテルの中なのかと疑いたくなるほど広い空間が拡がっていた。

 普通の25メートルプールを中心として、周りを囲うように子供用プール、大小のウォータースライダー、水を使った遊び場がある。

 全て満喫することは時間的に難しいかもしれないが、萌乃花風に言うとこの光景だけでご飯2杯はいけるね。いや、食べないけど。


「とりあえず、普通のプールに入っとく?」

「それがいいわね。まずは水に慣れないと」

「体がびっくりしては困りますからね」


 僕の提案に頷いた2人は、小学生の時から習ってきたであろうプールサイドで自分に水をかけるという行為を始める。

 腕や足、肩からお腹にかけてに水をかけていけば、水温に慣れて入りやすくなるのだ。

 しかし、僕はすっかり忘れていた。プールというのは地上に突っ立っているよりかは危険な場所であることを。


「私もご一緒に――――――――おわぁっ?!」


 僕の横にしゃがもうとした萌乃花は、はしゃいでいたのかプールサイドにある排水溝のフタで足を滑らせると、そのまま水の中へダイブしてしまった。

 僕は慌てて助けようと飛び込む準備をするが、幸いなことに萌乃花は直ぐに立ち上がって照れ笑いを見せてくれる。

 この様子だと何ともないみたいだね。事故に繋がらなくてよかった。


「えへへ……ここ温水なんですね! 不幸中の幸いです♪」

「不幸というか、ただの不注意だと思うんだけど」

「不注意中の幸いですか?」

「普通にラッキーだっただけになるね」


 今回の件も体質に関係があるのかは不明だけれど、本人からすれば100の不幸が襲ってくるらしいから、この程度の不幸でさっさと消費したいのだろう。

 今日だけであと何個の不幸に見舞われるか、僕からしたら気が気でないんだけどね。


「さあ、皆さんも泳ぎましょう!」

「……切り替えが早いわね」

「……見習いたいです」


 少し気後れしている2人もすぐにプールへ飛び込んで、バシャバシャと水を掛け合い始めた。

 彼女たちが傍にいてくれるなら、大惨事にはならないだろう。今はこの平穏な光景でも見て、心を安らげておこうかな。


「あれ、東條とうじょうさん。どうして隅っこから動かないんですか?」

「……」

「あっ、なるほど!」

「な、何も言わないでちょうだい!」


 その後、僕がそっとレンタルの浮き輪を差し出したことは言うまでもない。

 紅葉の身長では、隅にあるプールから上がるための少し高くなった場所じゃないと足がつかないんだもんね。

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