第62話

「そんな格好だと寒いでしょ?」


 瑛斗えいとのその言葉に、麗子れいこは思わず「……え?」という声を漏らした。想定とかけ離れた現実が、彼女の心を揺らす。


「え、瑛斗さん……?」

「ほら、温かいでしょ?遠慮しなくていいから」

「っ……」


 本当だ、温かい。自分が下着姿なこともあって、素肌の触れ合う部分からそのままの体温が伝わってくる。


「友達って疲れるもんね。僕と違って、白銀しろかねさんは友達がたくさんいるから、たまにはこうやって甘えてもいいんだよ?」

「だめです、そんなの……」

「白銀さんは何も考えなくていいから。僕がいいって言ってるんだもん」

「っ……」


 優しさが……温かい。下心作戦なんて存在しない言葉の響き一つひとつが、私をすごく安心させてくれる。

 麗子は気が付けば、無意識のうちに体の力を抜いていた。そのまま瑛斗を押し倒すようにベッドに倒れ込んでしまう。


「カッコつけなくていい相手に、僕がなってあげるよ」


 一瞬、沈みかかっていた心が跳ね上がった。その言い方は、あの嘘を見破られてしまったかのように聞こえたから。

 でも、そんなはずはない。自分はまだ、嘘の欠片すら彼に見せていないのだから。

 麗子はそう思い直すと、そっと目を閉じる。後で後悔するかもしれないと思いつつも、彼女は一時の安心感には勝てなかった。

 久しぶりに素直に感じた他人の温もり。落ちているのか昇っているのかも分からない気持ちのまま、彼女はその中に包まれていった。


「おやすみ、白銀さん」


 後頭部に触れる手は、思ったよりも大きかった。



―――――――――――――――――――――――


「やっと見つけたわ、こんなところにいたのね」

紅葉くれは、探してくれてたんだ?」

「当たり前でしょう」


 彼女は「だって、もう4時間目終わったわよ?!」と、怒り半分驚き半分といった口調で言った。

 僕は白銀さんが眠ってしまってから、場所を移動していない。とりあえず制服は着せてあげたけれど、あれから3時間ほどが過ぎているにも関わらず、彼女はいまだに幸せそうな寝息を立てていた。

 そもそも白銀さんは僕を探しに来てくれたんだから、先に帰って授業を受けるのは卑怯だと思ったんだ。

 それに、目が覚めた時に一人だったら寂しい思いをさせちゃうからね。甘えさせるならとことん甘えさせる、それが僕のやり方。


「探しに行っておいて、保健室で寝てるってどういう神経なのよ。ていうか、手を出してないでしょうね?」

「僕にそんな勇気があると思う?」

「まあ、ないわね。そもそも興味すらないでしょ?」

「そんなことないよ。友達としての興味はある」

「……友達、ね」


 紅葉の視線が一瞬だけ白銀さんの方を向いた気がした。もしかして、僕に友達認定されたことが羨ましいのかな?紅葉も大切な友達なのにね。


「紅葉、今日はここでお昼食べようよ。僕はここを離れられないから、お弁当箱を取ってきてくれる?」

「構わないけれど……白銀 麗子の分は?」

「紅葉にしては珍しく気が利くね。取ってきてあげて」

「私はいつも気が利いてるわよ」

「どの口が言ってるんだか」

「……弁当の中身、どうなってもいいらしいわね?」

「僕はいいけど、奈々がなんて言うか分からないなぁ」

「こ、今回は許してあげる。そこで待ってなさいよ」


 紅葉はそう言うと、駆け足で廊下へ出て行った。数秒後、外からビターン!という音が聞こえてくる。

 紅葉が転んだのだろうか。廊下は走っちゃダメって習わなかったのかな?

 帰ってきた彼女の鼻にティッシュが詰められていたから、多分僕の予想通りだと思う。


「それひゃあたべまひょうか」

「鼻声になってて面白いね」

「う、うっひゃい」

「ふふ、私も面白いと思います♪」

「ひ、ひろはねへいほ?! いつのみゃにほきて……(し、白銀 麗子?! いつの間に起きて……)」

「ちょっと何言ってるか分からないです」

「わはりなはいほ!(分かりなさいよ!)」

「紅葉は『分かりなさいよ』って言ってるね」

「どうして分かるんですか?」

「友達だからかな」


 僕がそう言って紅葉の方を見ると、彼女は照れたように顔を背けた。

 彼女には素直な気持ちを伝えるのが一番だと知っているから、友達という言葉に嬉しそうな反応を見せてくれると、僕もちょっと嬉しい。


「白銀さんも友達レベルを上げれば解読出来るようになるよ」

「それなら、頑張らないとですね♪」


 そんなやり取りに、「ともだひれへるってにゃによ(友達レベルって何よ)」と呆れたように眉を八の字にする紅葉。

 その時の僕はまだ知らなかった。僕の制服にシワがついていることにも、白銀さんの制服のボタンがかけ違えていることにも、ベッドの下に目隠しが落ちていることにも、その全てに紅葉が気が付いているということを。

 そして、保健室は病人怪我人以外の飲食禁止というルールもがあることも、まだ知らなかった。

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