第516話

 萌乃香ものかの不幸ノートの1ページ目に刻まれた日付は、ちょうど彼女が2度目に占い師の元を訪れた翌日らしかった。


『私にはこれから100の災難が訪れるらしい。すごく怖いけれど、終わりの見えなかったこれまでに比べれば希望が見えた気がする。

 まだ100もある。これまでみたいに怪我だけでは済まないようなことも起こると言われた。正直、すごく怖いし、こんな体質に生まれたことがお父さんとお母さんに申し訳ない。

 だけど、あと100しかない。これを乗り越えれば何にも怯えることなく生活が出来る。

 自分にはこれといった特技も面白みもないから、不幸でなくなることが嬉しい半面少し寂しい気もする。

 だから、きっといつかこの災難を笑い話にできる日が来るであろうことを願って、私はひとつずつ大切に記憶することにした。』


 この文章からも分かる通り、萌乃香は決して不幸を夢香ゆめかさんのせいだなんて思ってはいない。むしろ、自分を責めているほどだ。

 だけれど、彼女は強かった。100という重圧を理解しながらも、終わりが見えたことに希望を抱けたのだから。

 幸いにも大事故に巻き込まれたことは無いが、それでも何度も何度も……僕の聞いた限りでは27回も不幸な目に遭っているのだ。

 一番初めは占いを受けてから一週間後。カバンをひったくられ、親戚のおじさんからもらった5000円のお小遣いを盗まれた。

 次はその2週間後。コンビニにアイスの当たり棒を交換しに行ったら、銃を持った男に人質に選ばれた。

 そのまた3週間後には、友達と一緒にアヒルボートに乗っていたら転覆。友達の救命胴衣は膨らんだものの、自分が身につけたものに穴が空いていて溺れかけた。

 1ページにつきひとつずつ書かれた災難はアニメの中の話のようで、実際にひとつでも経験すれば家から出られなくなるほどのトラウマを植え付けられかねないものばかり。

 それらを見て行った僕は、彼女の口癖を思い出したことでふと気が付いた。


「……萌乃香にとって不幸と災難は違うんだね」


 自分と一緒にいる時に起こった……例えば文化祭でのポスターの上にペンキをこぼして台無しにした時の不幸。

 そして、修学旅行でプールで遊んだ時に水着が脱げてしまった時の不幸。

 そういうものはここには書かれていない。それはつまり、彼女の中であれらは100の災難には含まれないと考えられていることになる。

 要するに、事実はどうであれ萌乃香はあと73もの災難が降りかかると認識していながら、毎日あれほど眩しい笑顔を見せているわけだ。

 それがどれほど難しくてすごいことか、ある程度平穏に生きてきた僕には想像も出来なかった。


「あの子が前向きになってから、災難が訪れる頻度も段々とゆっくりになってきたの。今では半年に1回くらい」

「気持ちの持ちようも大切ってことですか」

「ええ。高校生の時期って交友関係がモチベーションの大半だと思うから、またいじめられたら元に戻っちゃうんじゃないかって……」

「……母親の愛なのね」

「そう受けとって貰えると嬉しいわ」


 夢香さんがにっこりと微笑みながらノートを閉じると、リビングのドアが開いて少し汗ばんだ萌乃香が入ってくる。

 彼女はどうやら水分補給にやってきたらしかったが、僕たちが既に到着していることに驚くと、あわあわと慌て始めた。


「お、お待たせしてすみません!」

「大丈夫だよ、いい話が聞けたから」

「いい話? あっ、お母さん、それは誰にも見せたらダメって言いましたよね?!」

「ふふ、お友達なんでしょう? ならいいじゃない」

「真面目に書いたものを見られるのは照れるんですよぉ!」


 ペシペシと叩かれている夢香さんが放り投げたノートは、紅葉の元へと飛んできて上手くキャッチ。

 すると、萌乃香の標的は彼女へとチェンジされ、ノートが奈々ななへ紅葉へと移動する度に闘牛のように突進を繰り返す。

 結局最終的にはノート奪還よりも、じゃれ合いの方がメインに変わってしまっていたけれど。

 その様子を少し離れた場所から眺めていた夢香さんの、母親としての瞳に僕が2人を連れてきて正解だったと安堵したことは言うまでもない。

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