第515話

 これは萌乃香ものかがまだ小学5年生の時の話。彼女はクラスメイトの男子たちから『まもの』と呼ばれていじめられていた。

 その理由……いや、理由と言うにはあまりに幼すぎるその動機は、彼女の身体的な発育が周囲よりも著しかったから。

 本人はそう言っていたが、本当はそれだけではない。むしろ、もうひとつの動機の方が大きかったかもしれない。


『この子の髪、地毛ですか?』


 萌乃香の母親の夢香ゆめかさんが、ベビーカーを押しながら歩いている時に最も多くかけられた言葉だ。

 この言葉からも分かる通り、萌乃香の特徴的なピンク色の髪は染められたものでは無い。

 彼女はストロベリーブロンドという、生まれつきピンクがかった金髪の持ち主なのだ。

 萌乃香の場合、金色よりもピンク色が強く出る体質らしく、そういう人は世界人口の0.1%も居ないらしかった。


『萌乃香ちゃんの両親は黒髪なのに、どうして萌乃香ちゃんだけ色が違うの?』


 ある時、萌乃香の友人だった女の子が純粋な瞳でそう聞いてきたことがある。

 両親が黒髪なのに他の色が生まれるのはおかしい。そう考えるのは当然だった。

 ただ、幼い子に『おじいちゃんが外国人で、その遺伝子が……』なんて説明しても伝わるはずがない。

 その場では何とか当たり障りのないことを話して難を逃れたが、それからの夢香さんは自分には現れなかった外国人の血のせいで、娘が勘違いされてしまうかもしれないことに怯えるようになってしまったのだ。

 そして時は流れ、髪色のことで萌乃香がいじめられていると担任教師から聞かされた時、『ああ、ついに……』という声が聞こた気がした。


『その、黒に染められては……?』


 担任教師の言葉に、思わず机を殴った。

 いくらいじめられている原因がそれだからといって、あの髪を隠すということは娘を臭いもの扱いして蓋をするのと同じだと思えてしまったから。

 変わるべきなのは我が家ではない。周囲の環境であるべきだというスタンスだけは、どうしても譲れなかったのだ。

 しかし、いじめが終わらない日々が続いたことで、夢香さんの心にも揺らぎが生じ始める。

 自分が維持を張っているだけで、娘の幸せは黒髪を手に入れることで動き出すのではないか。余計に傷つけているのは自分の方なのではないか。

 美しい娘の髪が揺れる度、『どうして黒髪に産んでくれなかったのか』と責められているような気がして夜も眠れなかった。


『……そこの母娘、ちょっと』


 そしてその日は訪れた。

 駅前を二人で歩いていた時、声をかけてきた占い師に半ば強引に連れられ、萌乃香の運勢を占ってもらってしまったのだ。

 そこで告げられたことこそ、『珍しい桃色の髪が、これからの人生で多くの災難を引き寄せる』というもの。

 そう、萌乃香の口癖である『不幸』というものを、初めてはっきりと認識したのがその瞬間だった。


「それからあの子、本当に色々と大変な目に遭ったの。その度に不幸だってすごく落ち込んで、私が占いを断りきれなかったせいでこの子の人生をめちゃくちゃにしたって辛かった」

「……でも、占いをしてもしなくても人生は変わらなかったと思いますよ」

「いえ、不幸という言葉を提示されなければ、単に運が悪いだけだと片付けられたはずだもの」


 夢香さんが言うには、自分が占いさえさせなければ、小学生の後半を不幸まみれの期間として記憶に残させることも、毎日絶望したような顔をさせなくて済んだはずだ……とのこと。

 人生の分岐システムなんて僕には分からないからなんとも言えないけれど、確かに不幸が口癖にはならなかった可能性くらいはあるかもしれない。

 しかし、夢香さんは十分に娘を大切に思って、同時に大切に育てている。それが占いに行った行かないだけで苦しみを与えられるというのは、どうも納得がいかなかった。


「でも、今の萌乃香ちゃんって明るいわよね」

「……言われてみれば確かに」

「私はよく知らないけど、確か文化祭で決勝に残ってた人だよね? 暗い人には見えなかったよ」

「それは、あの子が高校に入学する少し前に理由があるの」

「理由……?」


 僕の問い返しに「ええ、そうよ」と頷いた夢香さんは、リビングとキッチンを区切る棚に置かれていたノートのようなものを持ってきてくれる。

 それを開いて確認してみると、中に書かれていたのは1から順番に増えていく数字と、何かのエピソードのようなもの。

 一体これはなんなのかと首を傾げた僕たちに、夢香さんは少し微笑みながらこう言ったのだった。


「あの子の不幸ノート。あと100個の不幸で終わるって知ってから、ちゃんと一つずつ細かく書き残すことにしたらしいの」

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