第548話

「もう大丈夫?」

「ええ、平気よ」


 しばらく小指を冷やして復活した紅葉くれはによると、ぶつけたのは明日の準備をしている最中だったらしい。

 開かれた状態で置かれているバッグにはまだものが入っておらず、ちょうどこれから入れていくつもりなんだとか。


「じゃあ、僕は暇だからベッドでゴロゴロさせてもらおうかな」

「勝手に使わないでもらえる?」

「紅葉は僕のベッド、勝手に使ってたのに」

「一応、私も女の子よ? 少しは気を遣いなさいよ」

「大丈夫、使い終わったらファブるから」

「使ったなら別にそのままでもいいわ。むしろ、そのままにしておいて欲しいというか……」

「ごめん、よく聞こえないんだけど」

「いいから使いなさいって言っただけよ!」


 何やらプンスカしている紅葉に少し首を傾げつつ、了解も取ったので遠慮なく横にならせてもらう。

 そっと後頭部をつけた枕からは、微かに嗅いだことのある匂いが漂ってきた。彼女が使っているシャンプーかもしれない。


「……寝汗、かいたかもしれないわ」

「心配しなくても、いい匂いしかしないよ」

「そ、そう?」

「これだけ鼻を近づけても、紅葉の匂いだけ」

「ちょっと、そんな嗅がれると恥ずかしいから……」

「……ん?」

「ど、どうしたのよ」


 今、一瞬別の匂いが鼻を刺激した気がした。何だか不安そうな目でこちらを見つめている辺り、心当たりがあるのだろうか。

 そんな風に考えながら仲間はずれな匂いの素を辿って行った僕は、ベッドと壁の隙間に落ちていた小さな袋を見つけた。

 それを拾い上げてみると、緑色の表面には大きめに『3』と書かれているのがわかる。


「これ、ねるね〇ねるねの3番目の袋だよね」

「っ……」

「どうしてここにあるのかな」

「お、お姉ちゃんがポイ捨てしたのかしら……」

「紅葉、正直に言って。ベッドの上でね〇ねるを食べたの?」

「食べてないわよ!」

「……なるほどね」


 声色を聞く限り、質問されて緊張はしているが嘘をついている様子ではない。

 それはつまり、彼女がだらしなくベッドに寝転がりながら知育菓子を食べてなどいないということ。

 ただ、ここに3番目の袋が落ちていること、そしてあのお菓子は1番と2番の袋を使わなければ完成しないことを考えると、僕の中でもうひとつ別の選択肢が浮上してきた。


「確かに紅葉はねる〇る自体はここで食べていないのかもしれない。でも、ねるね〇を食べる時に使わなくてもいい3番の袋だけ、ここで食べたんじゃないかな」

「な、何を根拠にそんなこと!」

「根拠なんて無いよ。事実と紅葉の言葉から、ストーリーを考えただけ」

「だったら、私がベッドの上でお菓子を食べたなんて推理はやめて」

「わかったよ、ごめんね」


 不満そうに頬を膨れさせる彼女の頭を撫でてあげつつ、まだ脳内で処理しきれていなかった仮定を心のうちだけに留めておく。

 けれど、これは結果的に問いつめる形になってしまっただけで、何も紅葉へ嫌がらせがしたかった訳では無いと分かってもらいたい。


「共感したかっただけなんだ。3番の袋、別で食べた方が美味しいよねって」

「……」

「あと、ベッドでゴロゴロしながら食べるお菓子は美味しく感じるし。僕は紅葉にだらしない一面があってもいいと思うよ」

「……ほんと?」

「むしろ、同じだと嬉しいくらいかな」

「……そう」


 説得をしたつもりだったけれど、やはりこの程度の演説ではツンデレな紅葉のツンな部分を崩すことは出来なかったらしい。

 結局、自分のだらしなさをさらけ出しただけになったなと落ち込んでいると、「で、でも……」と彼女が服を引っ張ってきた。


「でも、これからはやるかもしれないわ。瑛斗えいとと一緒にゴロゴロしたいから」

「紅葉……」


 あくまで今回の指摘は認めたくないというスタンスを貫きつつ、なんだかんだデレの顔を見せてくれる彼女に、僕が嬉しくなって抱き締めたことは言うまでもない。


「じゃあ、今から2人でゴロゴロしよっか」

「……準備が終わってからでもいい?」

「わかった、待ってるね」

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