第128話

「葬式が終わってから気付きました。自分が麗子レイコだと名乗った理由に」


 麗華れいかはそう言いながら髪留めの入った袋を握りしめると、ポタポタと涙をこぼし始めた。

 落ちた涙は手の甲を伝い、彼女のスカートに丸い染みを作っている。


「私には励ましてくれる人がみんな、『死んだのが麗子れいこじゃなくて良かった』と思っているように見えたんです」

「きっと、みんなそんなこと思ってないよ」

「分かってます。でも、完璧で誰からも頼られるような麗子を、私はどこかで羨んでいたんです。なれるものならなりたいと」


 麗華は「でも……」と彼女は目元を拭うと、小さく首を横に振った。


「名前を偽ったって意味はなかった。だって私は麗子じゃない。運動も勉強も交友関係も、彼女のように上手くいかなかったんです」


 それでも、今更自分が麗華だと名乗ることも出来ない。自分の嘘によって本当の自分を出すことを封じられた彼女は、その嘘の償いをするために麗子の人生を幸せにすることを誓った。


「勉強も運動も、影で死ぬほどやりました。交友関係の方も必死に上手く話せるよう練習して、誰からも疑われないようにまで麗子になりきりました」


 しかし、それだけでは足りなかった。麗華としての自分は既に死んでいる。麗子として生きると決めた以上、天国にいる彼女が喜んでくれるような人生を歩まなくてはならない。

 例え自分が嫌な選択であっても、それが幸せな人間に見えることなら迷わず選んできた。その結果が今の自分だから……。


「私、間違ってたんですかね……」


 ふと立ち止まった時、見えた景色に嫌悪感を覚えてしまったのだ。自分が一体誰なのか、分からなくなってしまったから。


「うん、間違ってる。大間違いだよ」

「っ……」


 僕の言葉に、麗華は視線を床に落とした。彼女は大きな嘘をつき、それは今も彼女の周りの全ての人を騙し続けている。

 それは本当に罪なことだ。けれど、誰にも怒る権利なんてない。だって、一番騙していた相手は麗華自身の心なのだから。


「何より間違ってたのは、麗華が麗子の死を受け入れなかったことだよ」


 僕はそう言いながら麗華の手を握る。この温かさこそ、彼女が生きている証拠だ。

 生きているならやり直せるなんて言われるけれど、死んだ人は二度と戻ってこない。それをいつまでも思い悩んでいると、死者は永遠に記憶の中に閉じ込められたままになってしまう。


「彼女は死んだんだ、代わりになんてなれるはずがない。麗子だって喜ばないよ」

「っ……初めから分かってました、私は私でしかないって。それでも私よりも麗子の方が生きている価値が――――――――――」


 その瞬間、僕は反射的に麗華の頬を叩いた。彼女は頬を押えたまま固まり、しばらくすると嗚咽を漏らしながら泣き始めた。


「ごめん。でも、生きている価値なんて言わないで欲しかったんだ。麗子が命懸けで麗華を助けた意味が無くなっちゃうから」

「ごめんなさい……麗子、ごめんなさい……」


 何度も謝り続ける麗華を、僕はそっと胸に抱き寄せる。体の中に溜め込んだ悲しみや苦しみを、ここで全部吐き出して次の段階へと進んでもらうために。

 それから数分後、静かになったからと顔を覗き込んでみたら、彼女はゆっくりと寝息を立てていた。泣き疲れてしまったらしい。


「ゆっくり休んで。おやすみ」


 僕は麗華の体を支えながらソファに横にすると、そっと毛布をかけてからリビングを出た。

 音を立てないようにドアを閉めると、横から奈々ななの声が聞こえてくる。


「お兄ちゃん、どうするつもり?」

「聞いてたんだ。ダメだって言ったのに」

「気になっちゃって……」

「仕方ないなぁ」


 まあ、奈々が言いふらしたりするような子じゃないことはよくわかってるから、聞かれても問題は無いと思うけど。


白銀しろかね先輩の名前、戻させるの?」

「そこは僕の仕事じゃないよ。麗華自身が心の中の麗子と話し合って決めることだから」

「……そっか」


 彼女は小さく頷くと、今度はニヤリと笑って僕の顔を見つめてくる。


「もしかしたら、秘密を知ったお兄ちゃんを消しに来るかも?」

「それはないと思うよ。その後の始末が面倒くさそうだし」

「……あんまり怖がらないんだね。まあ、お兄ちゃんらしいけど」


 奈々は苦笑いを浮かべた後、「私が聞いてたことは内緒にしてね」と言って階段を上っていった。

 僕は「もちろん」と答えて、リビングの中へと戻る。起きた時に隣にいてあげないと、きっと寂しがっちゃうからね。

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