第466話

「はい、どうぞ〜♪」


 そう言って目の前に並べられたのは、カレーライスとトマトスープ、それからクルトン入りのサラダ。

 絆創膏だらけの左手を必死に隠す姿からは想像出来ないほど、美味しそうで食欲をそそられた。


「食べてもいい?」

「そのために作ったんだよ?」

「だよね。いただきます」

「召し上がれ〜♪」


 にっこりと笑う千聖ちさとさんに見つめられながら、スプーンですくったカレーライスをゆっくりと運ぶ。

 漂ってくる匂いはヨダレを誘い、目で楽しむのも焦れったくてすぐに開けた口の中へと放り込んだ。

 そして、電気信号が脳に届くよりも早く、直観的な感想を言葉にする。


「いや、不味まずっ」

「へっ?!」

「あ、その、ごめん……」

「一口貰うね?」


 そう言って受け取ったスプーンで時分もカレーを食べた彼女は、しばらく固まってから「……本当だ、美味しくない」とその場で膝をついた。

 本人も素直に認めてしまうほど、目の前にあるこれは不味いのだ。食べられたものじゃないと言うには、少し大袈裟過ぎる程度ではあるけれど。


「見た目も匂いもいいのに、どうして味だけ?」

「ちーちゃんにも分からないよ」

「念の為に聞くけど、料理の経験って……」

「いつもしてるもん!」

「……いつもこんなものを作ってるってこと?」

「お姉ちゃんは美味しいって言うんだけど……」


 そこまで聞いて、僕は以前の魅音みおんさんであれば、千聖さんに文句が言えずに口では褒めていただけなのではと考えた。

 しかし、本人も溢れるのを制御出来なかったのだろう。何とか隠そうとしている彼女の表情を見て、真実を察してしまう。


「千聖さん、本当は料理出来るよね」

「……ウウン、デキナイヨ?」

「じゃあ、どうしてそんなに嬉しそうな顔なの?」

「……笑顔のトレーニング、かな」

「嘘つかなくていいから。バレてるし」

瑛斗えいとっち、ほんとするどぎ」

「わかり易すぎるだけだよ」


 千聖さんがニヤついている理由。それは『ドッキリ大成功!』だとか『不味いもん食わせてやったぜ、げへへ』みたいなことでは無い。

 姉に救われて全て解決したかに思われた『誰も信じられない』という彼女の悩み。その後遺症とも言える体質が残っていたのだ。


「不味いって言われて喜んでるよね」

「……やっぱり隠せないか〜♪」

「顔に出たら分かっちゃうよ」


 今の千聖さんにとって、怒られたり嫌われたりすることは唯一相手を信じられる瞬間という訳では無くなっている。

 ただ、自分が劣っていると口にされることに喜びと快感を見出してしまう癖は、相変わらず精神の深くに根付いたまま。

 彼女自身にどうしようもない事なだけあって、僕にはやめろとも隠せとも言えなかった。


「お姉ちゃんもね、頼めばののしってくれるんだよ? でも、優しいから全然満足出来なくて」

「それで僕のところに?」

「そゆこと♪ 見た目に反して不味い料理を作れば、誰でも反射的に不味いって言ってくれるから」

「……ある意味、すごい才能だよ」

「ねえ、もっと言って? ちーちゃん、さっきのすごいキュンとしちゃった♪」

「さすがに2回目は無理だよ。もう不味いって分かっちゃってるもん」

「じゃあ、『こんな料理じゃ嫁に行けねぇな、俺の下でこき使ってやるから手始めに足舐めろメスブタ』って言って!」

「言えるわけないじゃん」


 料理してもらって申し訳ないけれど、そのお礼としてはあまりに捨てるものが大き過ぎる。

 そう思った僕が逃げ出そうとするも、先回りして扉を塞いだ千聖さんに行く手を阻まれ、後退りした先でぶつかったソファーへと押し倒された。

 そのまま上に乗られ、もはや身動きすら取れなくなってしまう。先程の『不味っ』でスイッチの入った彼女を止めるのは簡単ではないらしい。


「ほら、『お前程度の女が俺の上に乗ってんじゃねえ。床に這いつくばって見上げてろどブス』って罵って?」

「だから無理だってば」

「じゃあ、この場で脱いで自分から辱めを受けに行っちゃうけど?」

「それもダメ。お願いだから正気に戻って」

「あのね、瑛斗っち。そもそも、不味いって言われるために来たちーちゃんが、正気だったことがあると思う?」

「開き直らないでよ……」


 その後、何をやっても脱ごうとする彼女を止めるため、「この……メスブタ……」と呟いたところ、興奮しすぎた千聖さんにめちゃくちゃ抱きしめられた。

 数分後には反動で眠ってくれたけれど、僕が頭の中で彼女を危険人物リストに登録したことは言うまでもないね。


「罵倒の練習、しないとダメかな……」

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