第467話

「お兄ちゃん、ただいま―――――って誰?!」


 帰宅してすぐ、僕に膝枕されて眠る千聖ちさとさんを見つけた奈々ななの第一声がこれだった。

 ただ、来年はS級になりたい彼女はよく調べているようで、じっと顔を見つめると「……紺野こんの先輩?」と当てて見せる。


「お兄ちゃん、また新しい女の子と仲良くなったの?」

「すごく人聞き悪いね。友達が増えたって言って欲しいんだけど」

「本当に友達?」

「……そう言われると悩んじゃうね」


 普通にしている時の千聖さんは間違いなく友達と言っていいけれど、先程のようにスイッチの入った彼女はどうなのだろうか。

 罵って欲しいとせがんでくる相手を、友達と認めてしまってもいいのか、僕には分からなかった。


「どうして悩むの?! お兄ちゃん、まさかその先輩と人に言えないようなことを……」

「言われてみればしたね」

「なっ?! 許せない、妹の私を差し置いて……」

「いや、そもそも奈々にあんなことは言えないよ」

「くっ……こうなったら寝てる間にやっつける!」


 何か勘違いされてるような気がするけれど、兄が言わされたとは言え『メスブタ』なんて口にしたことを知られる訳にはいかない。

 僕が口を噤んでいると、奈々は不満そうにドスドスと足音を鳴らしながらこちらへと近付いてきた。

 しかし、あと数歩で千聖さんの目の前というところで、運悪くカーペットにつま先をひっかけて躓いてしまう。


「おわっ?!」

「奈々!」


 こちらへと倒れてくる彼女を受け止めようとするも、座っている状態では上手く踏ん張ることは出来なかった。

 僕はその体を受け止め切れず、奈々はある程度勢いを殺した状態で千聖さんに覆い被さるように倒れ込む。

 こんな衝撃ですやすやと眠り続けられるはずもなく、驚いて飛び起きようとした彼女と奈々の額がゴツンぶつかった。

 お互いに痛みに耐えること数秒、目の前にいる人物の正体を察した千聖さんは、彼女が押えていた部分に手を添えながら「ごめんね?」と謝罪する。


瑛斗えいとっちの妹ちゃんだよね。痛かった? 怪我してない?」

「あ、いや、悪いのは転んだ私ですし……」

「ちーちゃんがお邪魔してたせいでもあるから。ほら、ぶつけたところをよく見せて」


 そう言って奈々の額に顔を近づ付ける千聖さん。彼女にとっては何気ない心配だったのだろうが、先程まで怒ろうと思っていた奈々からすれば拍子抜けだ。

 彼女の調べでは、紺野こんの 千聖ちさとは高飛車で人の悪口を平気で言うような人物であるはずなのだから。


「うん、赤くなってるけど大丈夫そうだね」

「えっと、先輩の方は……」

「あ、平気平気♪ こう見えて頑丈な方だかんね」

「でも、赤くなってますよ」

「そうかな。じゃあ、妹ちゃんに痛いの痛いの飛んでけってしてもらっちゃおうかな?」


 キョトンとする奈々に、「冗談だって。ほら、瑛斗っちの膝枕空いたよ」と位置を交代する千聖さん。

 我が妹がこんな信じられないものを見るような目をする理由もわかる。僕だってメスブタ云々を言わせようとしてきた人物と同一人物だとは信じられてないし。


「それじゃあ、ちーちゃんはドロンしよっかな。また遊びに来るね!」

「あ、はい。暇な時はどうぞ」

「妹ちゃんもばいちゃ!」

「ば、ばいちゃ……?」


 僕ら寝起きだとは思えないテンションで彼女が出ていったドアを見つめた後、膝の上からこちらを見つめてくる奈々に視線を落とす。

 どうやら彼女の中に千聖さんを敵視する気持ちは消えてしまったようで、どちらかと言うと掴みどころのない相手だと思われたらしかった。

 相手にきつく当っても優しくしようとしても、どの道嫌われることが出来ない。その体質はまだまだ健在みたいだね。


「ねえ、お兄ちゃん」

「ん?」

「……あの人っていい人?」

「……どうだろう。悪い人じゃ無いのは確かだよ」

「でも、S級だから紅葉くれは先輩たちのライバルになるんだよね?」

「それはどうだろう。千聖さんは僕のこと、紅葉と同じようには見てないと思うよ」

「うーん、そっか。じゃあ、また会った時に自分で判断することにしようかな」

「それがいいと思う」


 そんな会話をしつつ、そっと頭を撫でられた奈々は満足そうに微笑みながら目を閉じる。

 彼女にとってこれはすごく久しぶりの膝枕だ。経緯はどうであれ、余計なことはなるべく考えたくなかったのだろう。


「……幸せ」


 その呟きを最後に、奈々は少しの間だけ楽しい夢を見たのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る