第485話

「お世話になりました」

「またいらしてくださいね」

「はい、是非」


 あれから俺たちは荷物をまとめ、玄関先で女将さんたちにお見送りしてもらうことに。

 若女将さんも出てこようとしてくれてはいたものの、奈々ななと目が合うとすぐに柱の陰に隠れてしまった。

 何だかすごく申し訳ないな。助けるためとは言え、勘違いされるような体勢をとったのは俺なわけだし。謝ろうにも奈々が離れてくれないんだよ。


「お兄ちゃん、バスに乗り遅れるよ!」

「はいはい、すぐ行くよ」


 僕はそう言うと、あらかじめ書いておいた手紙を「若女将さんに」と伝えて女将さんに手渡す。

 言葉で伝える機会がないなら、唯一奈々が離れるこのタイミングに置き手紙をするしかなかった。

 書かれている内容は謝罪と、これからも頑張って欲しいというメッセージだけだけれど、少しでも元気を取り戻してくれると嬉しいな。


「じゃあ、またいつか」

「はい。当旅館はいつまでもお客様を歓迎致します」


 再度頭を下げてから、先に歩き出している奈々を小走りで追いかけて横に並ぶ。

 寝不足と遠出特有の気疲れでカバンがずっしりと重く感じるが、ちょうどいいタイミングでバスに乗れたから助かった。


「奈々、少し寝かせてもらってもいいかな」

「ごめんね、夜は勝手に盛り上がっちゃって」

「ううん、大丈夫。気持ちは伝わってきたし、僕も向き合い方を考え直すよ」

「ありがとう♪ ところでお兄ちゃん」

「ん?」


 何やら支線がチラチラと窓の外へ向いている彼女を不思議に思い、何かあるのかと振り返ってみる。

 そこに広がっているのは、都会から外れたのどかな田舎の風景。遠くにはちらっと海も見える様な素敵な景色だ。

 何もおかしなことなんて何も無い……はずなのだが、僕はその中にあるたった一つの違和感に気が付くと、反射的に「運転手さん、止めてください」と声を上げた。

 他にお客さんも乗っていないから良かったものの、本来なら迷惑な行動である。

 僕は何度も運転手さんに謝りながら窓を開けると、必死にこちらへ走ってきていた結衣ゆいさんに手を振った。


「結衣さん、早く乗ってください」

「はぁはぁ……狭間はざまくん、けほっけほっ。た、助かったわ……」

「お礼はいいですから、とりあえず座りましょう」


 1時間に一本しか出ていないから急ぎたい気持ちも分かるけれど、それなら前もって準備をしておいて欲しい。

 大人の女の人の本気ダッシュというのは、見ていてそう気持ちのいいものでもないからね。


「違うんだ……アラームのやつが鳴らなかったから遅れただけなんだ……」

「誰に言い訳してるんですか」

「す、すまない。ついさっきまで、仕事のことで上司に謝る夢を見ていてな……」

「……なんと言うか、悲しくなりますね」


 きっと、叔父さんについて調べているものの、何の成果も得られないからよく怒られているのだろう。

 そう思うと、身内として心苦しかった。別に叔父さんに不正があって欲しいとは思わないけれど。


「悪いが、到着したら起こしてくれないか」

「だってさ、奈々」

「私?!」

「僕も寝るから、ついでに起こしてあげてよ」

「お兄ちゃんだけならいいけど、他の人もとなると何かご褒美がないとなぁー?」

「わかった、帰ったら耳かきしてあげる」

「よしっ! 約束だからね!」

「嘘はつかないから」


 嬉しそうにガッツポーズをする奈々を横目に見ながら、僕はずっと我慢していた眠気を解放して夢の国へと飛び立っていく。

 そこにはネズミのマスコットなんて居ないけれど、限界の近かった僕にとってはどんな温泉よりも癒される時間だった。


「ふふ、お兄ちゃんの寝顔可愛い♪ んん、何だか私まで眠気を誘われて―――――――――」


 それから30分後、僕たち3人まとめて運転手さんに起こしてもらったことは言うまでもない。

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