第66話 努力・胆力・姉力

 ついに夏休みが始まったが、のんびり寝ては居られない。目覚ましをセットした8時には目を覚まし、朝ご飯を食べてすぐ宿題を始める。

 小一時間ほどしたら伸びをし、別の教科に変えて気分転換。さらに小一時間取り組んだ後は、隣の部屋の物音を聞いて胸を撫で下ろす。

 妹、奈々ななは今日も無事らしい。姿を見せてくれないから不安だが、生きていてくれるならそれだけでいい。


「……あ、そうだ」


 勉強も少し休憩しようと思っていると、とあることを思い出して部屋を出た。

 そのまま隣の部屋のドアの前に立つと、コンコンとノックをしてから声を掛ける。


「奈々、お兄ちゃんだよ」

「……」


 返事は無いが、聞いてくれていることは何となく分かるので話を続ける。


「お兄ちゃん、今度友達と旅行に行くことになったんだ。奈々も一緒に来たりは……」

「……」

「……しないよね。その間はご飯を作れないから、自分でなにか注文して欲しい」


 引きこもっているとは言え、ネットで何かを買ったりはしているから使い方は分かるだろう。

 念の為「出来る?」と聞くと?コンコンと壁を優しく叩く音が聞こえていた。これは肯定的な返事だ。


「返事、ありがとう。何か欲しいものがあったら、紙に書いて廊下に落としておいてね」

「……」


 顔が見たい、とは言えない。声を聞きたいなんてことも伝えられない。一番そうしたいのは奈々本人だとわかっているから。


「近付いてるはずだから。もう少しだよ、奈々」


 独り言のようにそう呟いて、瑛斗えいとは自分の部屋へと戻る。

 既に多くのS級女生徒が敵では無いことを確認した。つまり、かなり候補が絞られて来ているということ。

 このペースなら、特定出来るのも時間の問題だろう。その後どうするのかは、自分でもまだ分からないけれど。


「とにかく、今は宿題だ」


 自らを鼓舞するようにそう口にして、再びペンを握る瑛斗。

 彼が昼ご飯のことも忘れて集中し続けた結果、一日で半分終わらせることが出来たことはまた別のお話。

 一方その頃、国語の問題集と向き合う紅葉くれはの握るペンは全く進んでいなかった。彼女の頭の中は、旅行ことでいっぱいだったから。


「えっと、彼女は麦わら帽子と……麦わら帽子ね、そう言えば被ったことないわ。白のワンピースを着て……随分と清楚なキャラね」


 物語の中に出てくるキャラクターの姿を想像して、それを自分に重ねてみる。

 けれど、そんないかにも清楚系ですという格好は、自分には似合わないかと首を横に振って妄想をかき消した。


「……でも、こんな格好したらどんな顔するかしら」

「なにかお悩みかな、くーちゃん」

「別に何も悩んで…………っ?!」


 背後から聞こえてきた声に答えようとした彼女は、ハッとして振り返ると同時に勢い余って椅子から転げ落ちた。


「もう、大丈夫?」

「大丈夫じゃない! なんで入ってきてるの」

「廊下で聞き耳を立ててたら、くーちゃんがブツブツ言ってるから心配になっちゃって」

「勝手に入ってくること自体引くのに、聞き耳まで立ててたの? 普通に無理なんだけど」

「お姉ちゃんをそんな目で見ないでぇぇぇ」


 先程からくーちゃんくーちゃんと言っているこの人物は、紅葉の姉である。

 ぼっち生活を送っていた彼女とは正反対に、友達も沢山いる社交的な性格をしていて、確かつい先日14人目の彼氏に振られたばかり。

 友達としては気配りが出来る上に距離感が近いためよくモテるのだが、恋人になると尽くしすぎてしまうせいで「自分がダメになる」といつも彼氏が離れていってしまうしい。

 そんな姉はもちろん妹にもお節介で、よくこうして勝手に入ってきては要らぬ詮索をしてくる。


「くーちゃん、清楚になりたいんだね?」

「いや、別に私は……」

「偶然にもお姉ちゃんの部屋に麦わら帽子と白のワンピースがあります。それもSサイズのやつが!」

「お姉ちゃんが着てるの見たことないけど」

「そりゃそうだよ。だって、くーちゃんのために買ってきたんだから」

「この展開を予想してたと」

「その通り!」

「……え、気持ち悪っ」


 時々発揮される異様な姉力に本気で引いてしまった紅葉の表情に傷ついてしまった姉。

 彼女があまりにも悲しそうな顔をするせいで、紅葉はつい「着る、着るから」と言ってしまい……。


「言ったね?」

「……」


 にんまりと笑うのを見て、嵌められたと後悔したことは言うまでもない。

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