第80話 目的はなくとも理由はある

 あれから数日が経過したが、テレビも新聞も部長の犯行未遂を取り上げることは無かった。

 いや、あれだけの人がいたのだ。広報だってきちんとされていた大会、それが途中で打ち切りになるだなんて話題にならないはずはない。

 もしかすると、麗子れいこが根回しをしてくれたのかもしれない。紅葉くれはと談笑する彼女見てそんなことを思う瑛斗えいと

 白銀しろかね財閥にとって美談ではあるものの、下手に切り取られれば勘違いをする輩も現れかねない。

 そう危惧したと予想すれば、会社からの圧力が各メディアに掛けられた可能性も出てくる。自分が気にすることでもないが。


「そう言えば紅葉、宿題は終わったの?」

「ええ、ばっちりよ」

「それなら良かった」


 海に行くまであと数日。思う存分楽しむなら、不安要素は残さないに限る。

 瑛斗にとっての不安要素は、宿題よりもはるかに重大で、残していかざるを得ないものだから辛いのだけれど。

 そんな心の内を見透かされたのかもしれない。麗華がこちらと壁を順番に見てからおそるおそるといった様子で口を開いた。


「あの、妹さんは大丈夫ですか?」

「……大丈夫って?」

「私たちも何となく事情は察しています。だからこそ、瑛斗さんがこの家を離れても良いのかと不安で……」

「それなら心配いらないよ。僕が学校に行ってる間に部屋から出てることもあるみたいだから」

「食べ物はどうするのよ」

「出前を取ってもらうよ。玄関先に置いてもらえて、ネットだけで頼める店をいくつかまとめた紙を置いておく」


 人に会わず、声を発さず、家の敷地から出る必要も無い。完璧な引きこもりのための準備。

 それらが万全だということをアピールしたのだが、それでも二人はどこか心配そうな顔をしていた。


「僕が居ない方が自由に過ごせると思うよ。家族にだって顔を見せてくれないんだから」

「……そんなに大変なんですか?」

「本人の気持ちは分からない。けど、僕が一生支えたとしても、その大変さより辛いのは間違いないと思う」


 引きこもりになる人間は心が弱い。そんなことを平気で言う人間が、世の中には驚くほど沢山いる。

 もしかしたら、瑛斗だって昔はそう思っていたのかもしれない。自分が普通に生きられる世界は、どう足掻いても過酷には見えないから。

 けれど、今ならハッキリと否定出来る。人間の心はみんな等しく脆い。

 だからこそ、優しく触れ合わなければならないし、肩を張ってぶつかれば傷も入る。

 そんな取り扱い注意の張り紙に向かって、鈍器を振り下ろす人間がいることが問題なのだ。

 どれだけ欠けたピースを探して元に戻そうとしても、砕かれてしまったらどうやって直せばいいのかも分からなくなるから。


「僕は自分でも少し妹を大事に思いすぎてるって分かってるから。たまにはひとりで過ごさせてあげないとね」

「……それならいいんですけど」

「むしろ、そんなに心配してくれる人がいるって伝えてあげたいくらいだよ。ありがとう、二人とも」

「別に私は何もしてないわよ……」


 彼女たちの肩に手を置いてお礼を伝えると、二人はそれぞれ違った表情を見せてくれる。

 けれど、内心は多分同じくプラスな意味を持っているのだろう。良い友達には、余計なことを考えずに良い夏休みを楽しんでもらいたい。

 悩むのは兄である自分だけで十分だ。


「ところで、今更だけど今日はどうして僕の部屋に来たんだっけ?」

「特に理由なんてないですよ」

「ここが一番落ち着く場所じゃない」

「……溜まり場にされてる?」

「不満なの?」

「不満ですか?」


 頬を膨れさせながら訴えかけてくる四つの瞳。そんなものを前に首を縦に振れるわけもなく。


「そんなことはないよ」


 その答えを聞いた二人が、嬉しそうにニヤつきながら両腕に擦り寄ってきたことは言うまでもない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る