第79話 約束と契約

 全てが解決した会場はざわつきに満ちていたが、主催者が機転を効かせて全ては大会の演出だったということにしてくれた。

 それで全員が納得したかは分からないが、少なくとも大事になることは無い。それは関係者全員が望んでいない結果だから。

 ちなみに、観念した部長に聞き出したところ、爆弾は仕掛けられておらず、持っていたスイッチは舞台袖の紙吹雪を噴射する装置を動かすためのものだった。

 観客たちを監禁し、紅葉くれはの顔に軽い怪我を負わせた罪はあるが、おそらく警察に突き出しても大した罰は与えられない。

 何より一連の事件は白銀しろかね財閥側が、雇用している人物のみではなくその家族への説明も必要であるということを見落としたのが原因で起きたものだ。

 少なくとも麗子れいこ自身は、自分には彼を責める権利などないと感じていた。

 だからこそ、全てを理解して立ち直ろうとする部長にチャンスを与えることにしたのだ。


「本当に良かったの?」

「何がですか?」

「自分を恨んでた人間に優しくしたことだよ」

「この程度で白銀家は堕ちませんから。東條とうじょうさんもいいと言ってくれましたし」

「麗子がいいならいいんだけど……」

「それに、こういう時のために私が居るんです」


 彼女はそう言いながらスカートの裾を掴むと、ぎこちない笑みを浮かべて見せる。

 その言葉はその笑顔とは正反対に真っ黒で、どこまでも麗子の体を蝕むほどに深くて大きな闇を抱えていた。

 理由は分かる。白銀家にとって麗子……いや、麗華れいかは姉の影武者でしかないから。

 これまで言葉でしか聞いた事のなかった瑛斗えいとも、今回の一件でその意味を思い知らされた。

 多くの人間が絡んでいるからこそ、それだけ恨みを買う可能性も高い。

 次期代表になる本物の白銀麗子を守るためにそこまでする父親の気持ちが、ほんの少し分かった気がして自分が嫌いになりそうだった。


「子が親を想う以上に……なんて、自分でもよく言ったと思いましたよ。私は全く愛されてなどいないのに」

「いや、きっと麗子だって本当は愛されてるよ。自分の下で働く人のことは、あれだけ考えてたんだから」

「私は道具として扱われているとしか思えません。だって、他に使い道がないから」

「会社と社員のことを考えなきゃいけない立場だからこうなってるだけじゃないかな」

「……そうでしょうか」

「それに、僕は麗華を想ってる。紅葉だって素直じゃないけど、助けてくれたことを感謝してるはずだよ」

「当然です。友達なのですから」


 そう答える彼女の表情は照れたような、喜んでいるような、少なくとも悪いものでは無いことは明らかで。

 例え家族に愛されていないとしても、自分だけは麗華のことを守ろうと改めて心に誓う瑛斗。

 そんな彼が服の裾を引っ張られて首を傾げると、彼女はモジモジとしながらこんなことを言い出した。


「私、少し前から思ってたんです。そろそろ瑛斗さんとの約束が薄れる頃なんじゃないかって」

「約束?」

「ほら、その、生きてさえいれば私を幸せにしてくれるという屋上でした契約のことです」

「……ああ、そんなことしたね。あれは麗華に生きて欲しくて勢いで言ったんだけど」


 もう十分幸せそうだから大丈夫、なんてことは赤らんだ頬と潤んだ瞳を見せられれば伝えられるはずもない。

 軽く主張する唇からは麗華の求めているものが伝わってきて、それを拒むだけの冷徹さを彼は持ち合わせていなかった。だから。


「契約の更新、お願いできますか?」

「……頑張ってくれたご褒美、だもんね」

「はい♪」

「じゃあ、人目のないところに行こうか」


 その後、舞台奥の扉から裏口を出たところの細い路地で、二人があの日と同じ口付けを交わしたことは彼らだけの秘密である。


「ふふ、これからもよろしくお願いしますね?」

「……もちろんだよ」

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