第164話

 みんなを家に送り届けた後、学園長は最後に僕の家の前へ停車した。

 紅葉くれはも「すぐそこなので……」と一緒に降り、トランクからカバンを引っ張り出す。


「そう言えば、瑛斗えいと君の家の裏だったかな? いいね、青春っぽくて」

「別になんにもありませんから」


 にっこりと笑った学園長は、「じゃあ、また会おう」と窓から手を振ると、やたら大音量で音楽を流しながら走り去って行った。

 車が角を曲がって見えなくなるまで見送ってから、僕は久しぶりに我が家と対面する。


「ただいま、おうちくん」

『おかえり、瑛斗君(裏声)』

「……家まで喋るのね、知らなかったわ」


 紅葉が苦笑いをしながらそう言うのと同時に、僕はふと他の喋る存在のことを思い出した。


「そうだ、お姉さんにサボテンくんの面倒を見てもらってたんだっけ」

「そう言えば、出発する前日に渡してたわね」

奈々ななはカナの家に泊まりだから、サボテンくんがいないと一人で寂しくなるところだったよ」

「……いや、一人よね?」

「後でお礼も兼ねて受け取りに行くよ」


 僕は紅葉の「サボテンは一人に数えられないわよね?」という言葉を無視して、「先に荷物を置いてから……」とカバンの中に手を突っ込む。

 しかし、いくら探しても鍵が見つからない。横のポケットも確認してみると、そこには大きな穴が空いているではないか。


「そう言えば、鍵は奈々が持ってるんだった……」


 服を片付けている時にポケットに穴が空いてしまい、「私の方にもポケットあるよ」と言われ、彼女のカバンへ移し替えたのをすっかり忘れていた。


「家に入れないじゃない」

「一晩野宿になるかも」

「それは気の毒ね」


 紅葉は「じゃあ、私はベッドでのんびりするわ」と背中を向けて歩いていってしまう。が、すぐに戻ってくると、不満そうにつま先を踏んできた。


「どうして止めないのよ」

「せっかくだから庭キャンプもアリかなって」

「いや、ナシでしょ」


 紅葉は「ちょっと楽しそうだけど……」と呟くと、ブンブンと首を横に振ってから僕の手首を掴んで引っ張る。


「放っておけるわけないじゃない。今日だけ泊めてあげるわよ」

「それなら奈々に連絡して鍵を取りに行くよ」

「もしかして遠慮してるの?」

「そりゃもちろん」

「……はぁ。余計なところで気を遣わなくていいの」


 彼女は深いため息をつくと、「来なさい、これは命令だから」と引っ張る力を一層強くした。


「いいの?」

「お姉ちゃんには相談するわよ? でも、瑛斗ならおそらくダメとは言わないわ」

「庭でも貸してもらえればいいよ」

「その場合は自分の家に戻って貰うけど」


 僕が「初めての野宿かぁ」と呟くと、紅葉は念の為と唇に人差し指を当てて「静かに」とジェスチャーする。


「それとなく聞いてみて、ダメならこっそり私の部屋に入れるわ。それまで喋らないで」

「……」コク


 イヴモードに切りかえた僕は口をしっかりと閉じながら、彼女に引かれて東條とうじょう家の玄関前まで移動した。

 紅葉は玄関の鍵を開けて中に入ると、リビングを覗き込んで姉がいるのを確認する。

 そして、「ここで待ってて」と僕を廊下に待機させると、一人で扉を開けて中へと入っていった。


「お姉ちゃん、ただいま」

「くーちゃん、おかえりなさい! お姉ちゃん、帰ってくるの待ってたんだよ〜♪」

「く、苦しい……」


 どうやら紅葉は熱烈な歓迎を受けているらしい。口では面倒くさそうにしているけれど、ドアにはめ込まれたガラスから覗いてみると、どことなく嬉しそうだ。


「お、お姉ちゃん、聞きたいことがあるんだけど……」

「どうした妹よ! P〇5はやらんぞ!」

「そうじゃなくて……って、まさか買ったの?」

「家庭教師のバイト代が貯まったからね♪」

「え、私も使わせてくれる?」

「お姉ちゃんのほっぺにちゅーしてくれたら……」

「やっぱりいい」

「……そんなにイヤ?」


 俯いて泣いてしまうお姉さんの背中を、紅葉は「イヤじゃないから……」と困り顔で撫でてあげる。

 すると、お姉さんは「じゃあ、今すぐちゅーして!」としてやったりという表情で頬を差し出して見せた。僕は一体何を見せられているんだろうか。


「お姉ちゃん、そろそろ私の話を……」

「その前にお姉ちゃんからも質問させて」

「……何?」


 紅葉の言葉を遮ったお姉さんは、「さっきから気になってたんだけど……」と立ち上がると、扉へと近付いてくる。

 僕は急いで隠れようとしたものの、変な体勢で覗いていたからか足がもつれてしまった。

 廊下に尻もちをついたまま上手く立ち上がれずにいたところへ、ガチャッと扉の開く音が聞こえてくる。


「……やっぱり」


 顔を上げてみると、お姉さんがこちらを見下ろしていた。その表情はまるで、初めからわかっていたかのように堂々としていた。


「どうして瑛斗君がここにいるのかな?」

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