第165話

「なるほど、鍵がないから家に入れないと」


 ソファーの上で足を組みながら、床に正座した僕と紅葉くれはを見下ろすお姉さん。彼女が悩ましげに吐息を漏らす度、隣で紅葉の肩に力が入るのが分かった。


「庭の物置なら貸してあげるよ〜?」

「ありがたく使わせてもらいます」

「いや、待って?!」


 すぐに庭へ出ようとすると、紅葉が慌てて腕を掴んで引き止める。彼女は僕をもう一度座らせると、ペチペチと頭を叩いてきた。


「物置は寝る場所じゃないわよ!」

「雨風がしのげるだけでもありがたいよ」

「……あなた、そんなにサバイバル向きだったの?」


 そんなやり取りをしていると、お姉さんはソファーの上でケタケタと笑い転げた後、「冗談冗談〜♪」と言いながら僕の肩に手を置く。


「ただし、条件はあるよ〜?」

「あ、二人の部屋なら立ち入りませんよ」

「その逆。今晩はくーちゃんと同じ部屋で寝てね〜」


 彼女はニコニコ笑顔でそう言うと、手を振りながら扉へ向かって歩いていった。

 そして、「私はお風呂に入ってくるから、予備の布団でも出して来といて〜」と言い残して去ってしまう。

 静寂が訪れたリビングでは、少しして状況を理解した紅葉が気まずそうにこっちを見ていた。


「ねえ、瑛斗えいと

「なに?」

「……本当に一緒に寝るの?」

「そう言われちゃったからね」


 お姉さんが出した条件は『一緒の部屋で寝る』というもの。同じ布団と言われた訳でもないし、別々なら特に問題もないだろう。


「紅葉が嫌なら外で寝るよ」

「嫌なんて言ってないでしょ! ただ、少し心配で……」

「海では自分から布団に入ってきたのに?」

「それは瑛斗が寝てたから―――――――って、どうして自分からだって知ってるのよ」

「あっ」


 僕が目を泳がせると、彼女は「まさか、起きてたの?」と怪しむように目を細めた。


「えっと、違うよ? 麗華れいかから聞いたんだ、夜中に紅葉が出てったって」

「ふーん?」

「他の人が運ぶわけないでしょ? だから、そうだと思ったんだよ」

「……まあ、そういうことにしておくわ」


 ほんのり頬を赤く染めた紅葉は、誤魔化せたことにホッとする僕から顔を背ける。やっぱり、あの時寝たフリをして正解だったね。


「まあいいわ。瑛斗ならどうせ何も出来ないだろうし、したところで返り討ちよ」

「僕が紅葉に何をするの?」

「そ、それは……」

「寝顔撮影して麗華に送ろうなんて、全く考えてないから安心して」

「やるつもりだったってことよね?!」


 「やったら怒るから!」と言いつつ既に怒ってしまっている彼女は、僕のポケットからスマホを抜き取ると、それをギュッと両手で握って捕獲した。


「これは明日の朝まで私が持ってるから」

「いいよ、学園デバイスもあるし」

「それも渡しなさい!」


 結局、カバンの中に入っていたカメラも見つけられ、撮影自体が不可能になった僕は、仕方なく作戦を中止することに。


「じゃあ、布団を取りに行くわよ」

「僕、ベッドじゃないと寝れないんだけど」

「贅沢言わないでもらえる?」

「紅葉、やっぱり一緒のベッドで―――――――」

「却下に決まってるでしょうが」


 自分から入るのは良くて、僕が頼むとダメなんだね。相変わらず紅葉の気持ちを読み取るのは難しいなぁ。


「いやぁ、いい湯だったね〜」


 とやかくしているうちに風呂から上がってきたお姉さんが、タオルで髪を拭きながらリビングに入ってくる。


「布団は取りに行った〜?」

「今から行こうと思ってたところよ」

「ふふ、いい夜になりそうだね〜」


 紅葉と僕を交互に眺めて満足そうに頷いたお姉さんは、またリビングを出ていこうとして、扉の前で何かを思い出したように足を止めた。


「そうそう、瑛斗くんを泊める条件をもうひとつ言い忘れてたんだけど……」


 彼女はそう言いながら、パジャマのポケットから何かを取り出して僕に渡した。見てみれば、袋に入ったボール型の炭酸入浴剤だ。


「くーちゃんと瑛斗くん、2人ともにその炭酸泡の気持ちよさを体感してもらうこと。これが2つ目の条件かな〜」


 なるほど、お姉さんは条件だと言いながら疲れた僕たちの体を癒そうとしてくれているのだろう。

 CMでもよく見るこの入浴剤は、5分入るだけでもかなり調子が良くなるらしいからね。


「じゃあ、紅葉の分も貰えますか?」

「ごめんね、それが最後のひとつなんだよ〜」

「「……ん?」」


 ひとつで2人ともが体感する。つまり、お姉さんが出している条件の本質は――――――――――。


「い、一緒に入れってこと?!」

「そゆこと〜♪」

「僕は別にいいけど、紅葉が嫌がるよね」

「嫌というか問題があるというか……」

「仲のいい男女が2人きりの密室、何も起こらないはずはなく―――――――――」

「変なナレーション入れないで?!」


 紅葉はお姉さんの背中をベシベシと叩き、リビングから追い出す。もう頬どころか耳まで真っ赤だ。

 そんな彼女が、名案を思いついたとばかりに「そうよ、水着を着て入れば……」と言いかけたものの……。


「あ、水着着用なんてのは無しだからね〜」


 ドアから顔だけを出したお姉さんの言葉によって、呆気なく崩れ落ちるのであった。

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