第526話

 生地が完成すれば、1時間ほど寝かせる時間が必要になる。この工程は最悪なくても構わないが、あった方が後の型抜きという作業がしやすくなるのだ。

 また、グルテンという成分を落ち着かせることで焼いた時の崩れを防いだり、生地のムラを減らすという意味もあるため、するとしないでは味にも変化が出てしまう。

 どうしても急ぐ必要が無いのであれば、寝かせるに越したことはないね。


「生地を寝かせる間は暇になりますので、何か別のことをしてはいかがでしょう」

「そうさせてもらいます。でも、他の作業もそろそろ終わりそうですよ?」

「でしたら、私のお願いを聞いて頂けますか? 少々手間のかかることではありますが」

「仕事が貰えるなら何でもやります」

「ありがとうございます。実は―――――――」


 瑠海るうなさんが言うには、今日メイドさんたちのお菓子を作るのには理由があるらしい。それがこのお願いにも関わってくるのだとか。

 説明するより見てもらう方が早いということで、厨房から連れ出された僕は近くの部屋へと招き入れられた。

 そこに居たのは、小学生低学年くらいの女の子二人と、初めて見るメイドさんが一人。

 女の子たちはおもちゃを散らかしたり、転がり回ったりして遊んでいるようで、メイドさんの方はその暴れん坊っぷりに振り回されているらしい。


506ゴーレム、おもりは順調ですか」

「と、102トウフさん! どう見ても順調ではないですよ!」

「……つまり、任務遂行に失敗したと?」

「な、何も問題はありません!」


 瑠海さんの圧に負けてピシッと敬礼をした彼女、506ゴーレムさんはすぐに転んだ女の子を起き上がらせるために駆け寄る。

 暴れん坊が一人ならまだ対処出来ただろうけれど、2人ともなると手に負えないらしかった。

 おまけに彼女は子供が苦手らしく、ほぼ泣きそうになりながらせっせとお仕事を続けている。

 僕へのお願いというのは、彼女のことを手伝ってあげることだろう。言われなくとも、放っておくわけにはいかないけどね。


「じゃあ、生地が完成したら呼んでください」

「察しが良くて助かります」

「鬼教官の威厳、保ちたいですもんね」

「……そんなに怖かったでしょうか」

「ええ、すごく。でも、優しさは伝わってると思いますよ」

「そうだといいのですが……」


 去りゆく瑠海さんの背中に人間味を感じつつ、僕は早速女の子の内の一人を抱っこして506ゴーレムさんのところへと連れていく。

 ものすごく感謝されちゃったけれど、僕も任された仕事をやっただけだからね。要するに、彼女はしばらく仕事仲間というわけだ。

 だから、お互いのことを知っておくのもいいと思う。決してナンパとかそういうことで声をかける訳では無いとわかって頂きたい。


506ゴーレムさん、初めましてですよね」

「は、はい! 今日からこちらで研修を受けることになりまして……」

「新人さんってこと?」

「そうなりますね。でも、狭間はざまさんのことは102トウフさんから教えていただいてます!」

「へえ、それはどんな風に聞いたのか気になるなぁ」

「お嬢様のお婿さんだと……」

「……嘘つき教官だ」

「嘘なんですか?!」

「うん」


 そりゃ、麗華と仲のいい瑠海さんからすれば、お嬢様の幸せを願う気持ちは分かる。

 僕だって麗華のことは好きだけど、まだ友達という意味から抜け出してはいない。そもそも、婚姻届に判を押した記憶もないからね。

 何かよからぬ薬を盛られて、眠っている間に書かされていたのだとしたら分からないけれど。

 少なくとも、今回のは瑠海さんの独断だろう。本人からは何も聞かされてないからそう思うしかない。


「僕は麗華の友達。そう覚え直しておいて」

「か、かしこまりました!」

「それじゃあ、おもりを再開しようか」

「はい! で、ですが……」


 いつの間にか膝の上から居なくなっている女の子たちを見つけた506ゴーレムさんの言葉に、僕が思わず同意したことは言うまでもない。


「まずは、片付けが必要そうですね」

「僕もそう思ったよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る