第525話

 自分たちも一緒に準備すれば早く終わると思っていたけれど、メイドさんたちのスピードは予想以上に速かった。

 僕が渡されたひと袋を終わらせるまでに、みんなその3倍以上の量を終わらせていて、最後にはむしろ待たせてしまうという結果に。

 ただ、瑠海るうなさんが言うには、大半がメイドたちのおやつのための材料だから問題ないらしい。

 その言葉の通り、僕たちが用意するケーキとクッキーの材料とは別に、数倍個のボウルが瑠海さんの前に並べられていた。


「ふぅ、ようやく終わりました。天秤も慣れると使い易いですね」


 そこへメイド長が最後のひとつを追加して準備はOK。あとは混ぜたり捏ねたりするのみ。

 せっかくなので、作っている最中くらいは着ようとエプロンを受け取っているところへ、ようやくイヴが到着した。


「……」ペコペコ

「そんなに謝らなくても、誰も怒ったりしてないよ」

「……?」

「本当だから。むしろ、いいタイミングで来たね」


 僕がそう言いながらエプロンを渡すと、彼女はホッとした様子でそれを受け取って首を透す。

 それからせっせと背中側でちょうちょ結びをすると、せめてものお詫びのつもりなのかみんなの分も丁寧に結んでくれた。


「まあ、自分でも出来たけど助かったわ」

「自分でやると結び目が緩くなるので助かりました」

「これで遅刻の件は免罪ですね」

「……♪」


 みんなからもお許しの言葉を貰ったイヴも、早速仲間に加えられて調理開始。

 紅葉くれは麗華れいかはケーキのスポンジを作る係、奈々ななとイヴは生クリームを作る係とすべきことを振り分けられていく。

 残る僕は何をするのか。そう、クッキーの生地を練ることだ。何だか一番地味なようにも感じるけれど、脇役でも手を抜いては全体の質を落としてしまう。

 お菓子作り好きとしてはここで本領を発揮して、みんなに美味しいものを食べて貰うことこそ至極の喜び。うん、頑張ろう。

 そう心に誓ったのも束の間、隣で同じ作業をしていた瑠海さんのスピードが早すぎて自信を失ってしまったことは言うまでもない。


「ふぅ。これでメイドの分は完了ですね」


 何せ、ようやくバターと砂糖を混ぜ合わせたものに薄力粉を投入というところで、彼女は一連の流れを終えた生地の塊を5つ作っていたから。

 さすがはメイドさん、何もかもの手際が良過ぎる。生地を受け取った他のメイドさんたちは、せっせとラップをして冷蔵庫保管の準備をしている。

 ここから生地は1時間ほど寝かせるため、ひとつでも遅れると全ての工程がロケット鉛筆式に遅れてしまうのだ。

 しかし、お菓子作りに焦りは禁物。手際よくやっているように見えても、かき混ぜ過ぎやかき混ぜ無さすぎは味を悪くする原因である。

 いくらメイドさんたちがそれらを完璧に理解して、一切の淀みのない綺麗な生地の塊を作り上げていたとしても、自分はそれと同じものを身長差という土台の上で作らなくてはならない。

 ……心の中ではそう繰り返していても、先走る気持ちは体に現れていたのだろう。


「大丈夫、焦らなくていいんですよ」

「……すみません」


 瑠海さんが僕のヘラを握る手を掴んで、そっと背中を撫でてくれた。

 こうして優しくトントンとされると、前のめりになっていた体から余計な力が抜けていく気がする。

 自分がどうして急がなくてはならないと思っていたのか、その理由さえ忘れてしまうほどに。


「早くて正確はメイドの職業病ですから。お嬢様方の作業はまだ時間がかかりそうですよ」

「……本当ですね」

「これが仕事なら時間は厳守ですが、皆様が行っているのは楽しいお菓子作り。笑顔無くして甘いものは作れませんよ?」

「瑠海さんだって笑ってないじゃないですか」

「笑えという命令なら笑いますが」

「冗談です。おかげで気持ちがほぐれました」


 その後、自分のペースで作った生地は瑠海さんのように完璧とはならなかったものの、自分史上一番の出来だったということはまた別のお話。

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