第429話

 ピンポーン♪


 インターホンの音がスピーカーから聞こえてきた十数秒後、『はーい』という声が返ってくる。

 ここはとある高層タワーマンションの入口、住人以外は専用カードキーを持っていないため、中の人が開けてくれないと中へ入れないのだ。


瑛斗えいとだけど」

『先生?! どうしたんだよ、急に』

「渡したいものがあってね。中に入るのが無理ならポストに入れるのでもいいよ」

『いやいや、入ってくれ! ちょうど先生のことを考えてたところなんだ』

「僕のことを?」

『ああ……って今話してるだろ! とにかく今開けたから、どこがアタイの家かは覚えてるよな?』

「忘れるわけないよ」


 僕が「1番上だし」と呟くと、スピーカーから笑い声が聞こえてきてプツリと切れた。

 その直後、ガラスの扉が自動で開かれ、コンシェルジュって言うんだっけ? エントランスにいた女性が深々と頭を下げてくれる。

 話を聞いていたのか先にエレベーターを呼んでおいてくれたらしく、ほぼ待ち時間なく上の階へと向かえた。さすが高級タワーマンションだね。


「私、こんなマンションに入ったの初めてだわ」

「僕もまだ数回目かな」

「随分と親しげに話してたわよね」

「……もしかして嫉妬してる?」

「し、してない……こともないけど。知らないところで仲良くなってると思うと、焦りの感情が出てくるというか……」

「安心してよ。紅葉も知ってる相手だから」

「うーん、心当たりがないわね」


 そう言いながら首を捻っていた紅葉も、最高階に到着して出迎えてくれた人物を見た瞬間、「ああ!」と声を上げた。

 それもそのはず。紅葉は紗枝さえのことを文化祭で確実に見ているはずだからね。あれだけ僕と切磋琢磨したわけだし。


「あなた、こんなところに住んでたのね」

「確か、東條とうじょう先輩だっけ? 文化祭で先生の支援者だったから覚えてるぞ」

「それは嬉しいわね」

「先生とは友達1号同士だって聞いてたからいずれ話してみたいと思ってたけど、まさか今日会えるとは思わなかったな」

「い、いずれ恋人1号同士になるつもりだから!」


 先程の言葉通り、やはり嫉妬していたのだろう。先手を打とうと焦ってしまったのか、紅葉は自分から大声で宣言しておきながら恥ずかしさのあまり顔を覆ってしまう。

 そんな姿を紗枝はケタケタと笑うと、「聞いてた通りの面白い人だな」と僕の方を見た。


「ところで、渡したいものってなんだ?」

「実は紅葉をここに置いていこうかと……」

「ちょっとどういうことよ!」

「冗談だよ。そもそも僕にそんな権限はないし」


 余程置いていく発言が嫌だったのか、彼女は「……瑛斗の大バカ」と呟いて不機嫌になってしまう。

 頬をぷにぷにとやればペチッと手を叩いてくるし、目線の高さを合わせればぷいっとそっぽを向く。

 これは実に重症……いや、よく考えたらいつもとあまり変わらないかもしれない。


「そんな顔しなくてもいいでしょ。僕が紅葉のこと置いていくような真似すると思う?」

「思わないけど……」

「僕が紅葉を置いていくとしたら、ゾンビの群れに立ち向かうような時くらいだね」

「それはそれで置いていかれたくないわよ!」

「一緒に戦ってくれるの?」

「逃げるのよ。後々ゾンビになった瑛斗が立ちはだかってきたりしたら嫌だもの」

「定番の流れだよね」

「それでも悲しいのよ」


 そこまで話して、僕たちはようやく紗枝がニコニコしながら見つめてきていることに気がついてごめんと謝る。

 そして「修学旅行のお土産だよ」と言って、紙袋から取り出したスイーツ系のお菓子が入った箱を手渡した。


「アタイにまで用意してもらっちゃって悪いな」

「まあ、僕は先生だからね。教え子のために何かするのは当然だよ」

「やっぱ先生はあっちとは違うな」

「あっちって……そう言えばインターホンでも誰かに怒ってたよね。まさかとは思うけど……」

「……ああ、ちょうど来てるんだよ」


 紗枝がそう言うと同時に開いた扉から現れたのは、紗枝の本当の家庭教師である紅葉のお姉さん。

 聞く必要も無いから聞いていなかったけれど、今日は家に居なかったんだね。ここで会えるとは微塵も思っていなかったから驚きだ。


「くーちゃんと瑛斗君じゃないの。まさか……お姉ちゃんの仕事ぶりを褒めに来てくれた?」

「チョコ頬張りながら言うセリフじゃないですね」

「だって、出してもらったお茶とお菓子が美味しすぎるんだもの」


 そんなことを口にしつつ、もうひとつチョコを口へ放り込むお姉さん。

 その様子を呆れた様子で見ていた紗枝が、「正式に先生を交代してもらいたいくらいだ」と深いため息をこぼしたことは言うまでもない。


「でも、成績は上がってきてるんだよね?」

「……まあな。教え方はかなり上手くなったし、だらけ癖があるところ以外は問題ない」

「それなら僕が助ける必要もなさそうだね」

「それとこれとは別だろ」

「そう?」

「先生には学校のことも教えて欲しいからな」

「そこまで言うなら僕も引き続き手伝ってあげる」

「おう、よろしく頼む」

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