第189話

 お祭りから今日で3日が経った。

 紅葉くれははあの時のキスを気にする素振りも見せず、今のところ関係に変化はない。

 ただ、その代わりに奈々ななの態度が少し冷たくなった。何と言うか、中学時代の彼女に戻った感じなのだ。


「奈々、おはよ」

「うん」


 いつもならジロジロと見てくる朝の時間も、今日はスマホを見たまま素っ気ない返事だけ。


「ごちそうさま」

「……」


 朝食を食べ終えても、一切こちらを見向きもしない。なにか嫌われるようなことでもしてしまったのだろうか。


「いや、もしかして――――――――」


 いつもニコニコしているはずの奈々が、ソファーの上で足を組んでつまらなさそうにしている。その様を見て僕は察した。

 我が妹にもついに兄離れの時期が来たのだ。常に発されている『お兄ちゃんウザイよオーラ』がそれを物語っている。


「奈々もこれから大人になっていくんだね」

「……は?」


 この突き刺すような拒絶の眼差し。これこそ、普通の兄妹が辿る道なのだ。

 兄と妹は次第に口を聞かなくなり、兄としての役割は妹の結婚式で泣いてやること。僕はついにその第一歩を踏み出すことが出来た。


「少し寂しいけれど、これも将来のためだよね」


 滲む涙を拭いながら、最後になるかもしれないなでなでをして、僕はリビングを後にする。

 たった半年間のブラコン妹だったけれど、本当の奈々はそうじゃないもんね。

 引き込もってた時期に一番そばにいた僕に、偶然懐いちゃってただけだから――――――――――。


「いい人を見つけるんだよ、奈々」


 廊下でそう呟いて、静かに階段を登り始めた。

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 お兄ちゃんが出ていったのを見て、私は大きなため息をついた。


「……いや、辛すぎるよ!」


 ソファーをべしべしと叩きながら、胸の中に溜まったモヤモヤを発散する。それでも足りず、息が切れるまでじたばたと暴れた。


「はぁはぁ、何であっさり受け入れちゃうの……」


 お兄ちゃんのあの目は、どこか安心しているように見えた。もしかして、私がくっついたりするのは迷惑だったのかな……。

 そう思うと走り出したくなるくらい苦しくて、嫌いになった演技を続けられる気がしない。


「でも、お兄ちゃんは紅葉くれは先輩と……」


 そう、キスしていたのだ。デートしたり手を繋いだり、ハグしたりする程度ならまだ良かった。

 キスは完全に恋愛感情を表現する行為。そこまでした先輩を、妹という立場で邪魔することは許されない。


「だってお兄ちゃんを好きになる資格は……」


 もちろんお兄ちゃんから答えは出ていない。それでも既に時間の問題だ。

 取られたくないし、叔父さんとの勝負も捨てたくない。けれど、紅葉先輩のあんな幸せそうな顔を見せられて、それを潰しに行けるほど私は鬼にはなれなかった。


「ごめんね、お兄ちゃん。私、諦めちゃうよ……」


 これから毎日冷たく接して、話もハグも一緒に寝ることも出来ず、好きだと伝えることも楽しみを共有することも一切――――――――――。


「あ、あれ……? 何のために生きてるのかな?」


 私はお兄ちゃんのために学校に行く決意をしたんだよ? お兄ちゃんのために立派な妹になって。お兄ちゃんと一緒にいられるようにゲームに参加した。

 この選択はその全てを無に返すということ。私が頑張る理由を、自ら捨ててしまうということ。


「でも、お兄ちゃんは先輩とのキスを拒まなかった。嫌いなら抵抗くらいしたはずだよ」


 もしも紅葉先輩とお兄ちゃんが結婚したら、私は一緒にいることすら出来ない。もし会いに行っても、2人のイチャイチャを見せつけられるだけ……。

 口では自分を押さえつけようとしているはずなのに、心の中から自分が諦めない理由がどんどんと湧いてきてしまう。


「そ、そんなの耐えられない!」


 想像は留まるところを知らず、頭の中のお兄ちゃんが『ほら、奈々の甥っ子だよ』と赤ん坊を見せてきたところで、思わずソファーから立ち上がった。


「絶対に無理だよ!」


 気が付けば私はリビングを飛び出し、階段を駆け上がってお兄ちゃんの部屋へと駆け込んでいた。


「ど、どうしたの?」


 ベッドから半身を起こしながら驚く兄目掛け、私は躊躇うことなくダイブする。

 そのまま力いっぱい抱きしめ、諦めるという選択肢を捨てる決心をするのだった。


「お兄ちゃん大好き!」

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