第43話

「私、お兄ちゃんに好かれたくないなぁ……」


 つい、本心がこぼれた。お兄ちゃんは……まだお風呂から上がってきていないみたい。聞かれていなくてよかったと、ひとりで胸を撫で下ろす。


 私はお兄ちゃんが大好き、それは間違いない。けれど、だからと言ってそれが好かれたいに直結するわけじゃない。

 ……ううん、こんな言い方したら勘違いされちゃう。本音はすごく好かれたい。愛されて、大切にされて、お兄ちゃんのものにして欲しい。

 けれど、素直にそう願えるのは『妹』という肩書きがなかったらの話。私達は兄妹で、世間体的にも法的にも結婚はできない関係。

 私だってもう高校生だから、どうして兄妹の結婚や子供を作ることがダメなのかくらい分かってる。でも、好きになってしまったものは仕方ない。それが恋というもの。


「……なんて、その『仕方ない』が世間一般に通じないから悩んでるんだけどね」


 私は胸のモヤモヤを吐き出すようにため息をついた。LGBTの人々は世間に認められつつあると言うのに、兄を好きな妹は認められないなんておかしい。

 おかしいけれど、私自身も自分をおかしいと思っていないわけじゃないから、ずっと声を大には出来ないでいた。

 それでも、お兄ちゃんだけはこんな私でも受け止めてくれると分かっているから、許される限り甘え尽くしてしまう。


 私の行動を客観的に見た人は、そんなの矛盾していると言うかもしれない。世間の目を気にして好かれたくないはずなのに、自らお兄ちゃんにアピールしているのだから。

 けれど、私にとってそれは何の矛盾でもない。


「だって、お兄ちゃんは恋愛無関心なんだもん」


 鏡を見なくても、自分が曖昧な表情を浮かべているのがわかった。絶対に好きになってもらえないことへの悲しみと、絶対に今の関係性が崩れないという安心感とが混じった結果だ。


 もしもの話。万が一に、お兄ちゃんが私を好きになってしまったなら、きっと私達は兄妹としての一線を超えてしまう。

 だって、ひとつ屋根の下で愛し合う男女二人暮しなんて、エッチなゲームなら妊娠エンドしか迎えないだろうから。

 けれど、絶対にそうはならない。お兄ちゃんは私はおろか、他の女の子を好きになることも無くて、ずっと兄妹仲良く暮らしていける。

 私がお兄ちゃんに全力でアピールできるのは、そういう確信があるから。

 どれだけ好きだと言っても、どれだけ色仕掛けしてみても、お兄ちゃんはお兄ちゃんのままで私の気持ちに耳を傾けてくれる。

 私はお兄ちゃんに振られるとわかっているからこそ、叶わない恋だと知っているからこそ、玉砕覚悟の特攻ができるのだ。

 今更想いを伝えることを我慢なんて出来ないから、好きすぎておかしくならないようにするには、それしか方法がない。ぶっ飛んでいるとは思うけれど、他に道が残されていないのだから仕方ない。

 もしもそれさえ受け入れられてしまったら、私達は普通の幸せには戻れなくなる。私が望むのはあくまで現状維持、それ以上でもそれ以下でもない。


奈々なな、お風呂空いたよ」

「すぐに入るね」


 リビングにお兄ちゃんが入ってきて、私は用意していた着替えを持って入れ替わりで廊下へと出る。

 脱衣所で服を脱いで風呂場に入ると、目の前にある全身を映す鏡を見つめて大きく深呼吸した。


「大丈夫、お兄ちゃんは絶対に落とされない」


 自分に言い聞かせるようにそう呟いて、頬を軽くぺちぺちと叩いて引き締める。

 学園長……もとい叔父さんとあの約束を交わした時は、まさかこんなにも不安になるなんて思ってもみなかった。


 その約束の内容というのが、『お兄ちゃんが卒業まで誰とも付き合わなければ、兄妹2人で住める環境を用意してくれる』というもの。


 恋愛無関心なお兄ちゃんが、誰にも恋せず2年間過ごせばいいだけ。普通に考えれば簡単なことだと思う。世の中には努力したって誰とも付き合えない人がいるくらいなんだから。

 けれど、叔父さんが勝手に始めた『S級同士のお兄ちゃん争奪戦』はさすがに予想外だった。

 S級、つまり学園の一二を争うハイスペック女子高生達が、お兄ちゃんを全力で落としに来るということ。

 問題なのは、お兄ちゃんが可愛い女の子に迫られることじゃない。それだけなら恋愛無関心で跳ね返せると思う。

 けれど、お兄ちゃんだって男の子だもん。もしも、躊躇なく体を武器にしてきたとしたら……恋愛的な意味じゃなく落とされかねない。

 叔父さんとの勝負における私の敗因は、『お兄ちゃんが誰かと付き合うこと』だから。そこに恋愛感情の有無は関係なく、「付き合う?」「うん」の単純なやり取りだけで負けてしまうのだ。

 なら、ぼーっと2年が過ぎるまで指をくわえているだけなんてこと、私の恋心が許すはずがない。

 勝負の内容に妨害行為の禁止はなかった。そもそも、叔父さんが先にずるいことを仕掛けてきたのだから、私だってどんな手を使ってもお兄ちゃんの在学資格を守り抜いてみせる。

 お父さんとお母さんが帰ってきてから、どこかで二人暮しを続けていくためにも、負けた時のを払わなくて済むようにするためにも、敗北は許されない。

 かくなる上は、この2年間で叔父さんの弱みでも探しておこう。いざと言う時にはそれで無かったことにしてしまえばいいし、契約自体揉み消される可能性も無きにしも非ずだから。

 報酬目当てのS級なんかに、お兄ちゃんを奪われるわけにはいかない。自分の理想の未来のためなら、相手の人生を潰すくらいの覚悟はしておかないといけないよね。

 私は先日のことを思い浮かべながら、歪に口元を歪ませた。今のところ、消すべきターゲットは2人だと思う。どっちもお兄ちゃんと同じクラスだけど――――――――――――。


「まずはあの小さい先輩からかな」


 東條とうじょう 紅葉くれは先輩。あの人は、現在最もお兄ちゃんとの接触回数が多い人物。

 お兄ちゃんにロリコンの性でも生まれてしまっては困るから、あれは早めに対処しなくては……。

 私は冷たいシャワーを頭から浴びながら、明日やるべき事について考えていた。それを遮るように、コンコンと浴室の扉がノックされる。


「奈々、ボディソープが切れてたと思うからここに置いとくね」

「お兄ちゃん、それを理由にして覗きに来たの?えっちだぁ〜♪」

「そんなわけないでしょ。ちゃんと温まってよ?」


 ……さすがはお兄ちゃん、私の入浴シーンも眼中にないってか!悲しいような嬉しいような……まあ、恋愛無関心が健在でよかった、のかな?

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