第439話

 寧々子ねねこさんと少し仲良くなれたような気がしてから一夜明けた翌日の放課後、僕は昨日渡せなかったお土産を持ってとある扉の前に立っていた。

 ここは手芸部の部室。実のところ、信介しんすけさん以上に渡すかどうか迷った相手なのだけれど、お世話になったことは事実だし。

 渡さなくて失礼になることはあっても、渡して失礼になることは無いだろう。


「失礼します」


 放課後はいつも部室にいると聞いていたが、ノックしてから入ってみると噂通りそこにいた。

 低い身長のためか高めに作られたイスに座りながら、真剣な表情でミシンに向かっている彼女……手芸部の部長のゆんさんだ。

 僕とどういう関係かと聞かれれば、他人でしかないことに変わりはないのだけれど、ハロウィンの時に全員分の衣装を作ってくれたからね。

 あの時のお礼という意味でも、今回のお土産はいい機会になったと思う。これを逃せば、ここに来る口実なんて無かっただろうし。


「ん? お主、何者じゃ?」

「あ! 瑛斗えいとさんじゃないですか!」


 こちらを見て首を傾げるゆんさんと、正反対に明るい表情で名前を呼んでくれる萌乃花ものか

 彼女は机の影に隠れてゆんさんの作業を見ていたらしい。こうして視界に入れてみると、髪色といい体の主張的な部分といい、全く気付かなかったのが不思議で仕方がない。


「瑛斗? ああ、いつぞやの部費づるじゃな」

「部費づる?」

「お主らの仮装衣装が良かったおかげで、部費を大幅に増やしてもらえたんじゃ」

「それでその新しいミシンを?」

「その通りじゃ。ふふふ、弘法筆を選ばずとはよく言うが、せつはミシンを選ぶ主義じゃからの」

「あの、それって本来は意味違うんですよね」

「ほぇ?」


 現代では『弘法筆を選ばず』と言うと、達人であれば筆を選ばなくても上手く書けるという意味で使われている。

 しかし、この言葉の起源を辿ると、本来は『達人は道具のメンテナンスを念入りに行い、常に良いものを使う』と真逆の意味であったことが分かるのだ。

 要するに、いいミシンに買い換えたというのは、本来の意味で言うところの『達人』には当てはまらないというわけで……。


「せ、拙は達人でも買い換える派なんじゃ。弘法がなんじゃ、知らんわそんなもん」

「いや、ゆんさんが言い始めましたよね?」

「人の揚げ足なんて取るもんじゃない。用がないなら帰ってくれんか」

「用事ならありますよ」


 揚げ足を取ったつもりはなかったけれど、うんちくを話し過ぎたせいで嫌味に聞こえてしまったのかもしれない。

 僕は心の中で反省しつつ、本来の目的であるお土産を彼女に手渡した。


「これは……?」

「沖縄のお土産です」

「こんなものを持ってるなら早く言えばいいんじゃ」


 明らかに機嫌が良くなった彼女は、椅子からひょいと飛び降りると、丁寧にしまってあったお皿を持って来てくれる。

 それから僕の渡したばかりの箱を開けると、中から4つ取り出して4枚の皿の上にそれぞれ乗せた。


「わざわざ持ってきてくれたこと、礼を言うのじゃ」

「いえいえ。衣装の件のお返しがしたかったので」

「そんなこと、気にしなくていいのじゃ。見合うだけの部費は貰えたからの」

「それとこれとは別ですよ。みんな、すごく気に入ってましたし、もしかするとまた頼むことがあるかもしれませんから」

「瑛斗くんはどこぞの不器用ピンクと違って、よく出来た後輩じゃな。君のためならもうひと働きくらいはしてやらんでもない」

「えっと、不器用ピンク?」

「萌乃花のことじゃ。そもそも、追加の部費が必要になった原因がこいつじゃからな」


 話を聞く限り、あの一件の後も萌乃花は色々とやらかしたようで、おまけに今回はお土産すら買い忘れていたらしい。

 そのせいでゆんさんは絶賛不機嫌中なようで、僕が『やっぱり持ってきて正解だった』と安堵したことは言うまでもない。


「僕の分を萌乃花のだと思って許してあげて下さい」

「……まあ、そこまで言うなら今回は水に流してやってもいいのじゃ」

「ありがとうございます」

「その代わりと言ってはなんじゃが、頼みを聞いてもらってもいいじゃろうか」

「頼み、ですか?」

「なに、そう難しいことではない」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る