第499話

 あれから随分と豪勢な昼食を食べたけれど、ほとんど味がしなかった。

 食事自体に味がついてないとか、未知のウイルスによって味覚を奪われたとかではない。

 麗華れいか瑠海るうなさんのバチバチとした雰囲気が、味を感じさせてくれなかったのだ。


「皆さん、また来てくださいね」

「是非いらして下さい」

「……瑠海、皆さんは私の友人です。あなたはただのメイドでしょう」

「別に私の友人と言っても構いませんよね?」


 睨み合っていた視線をこちらに向けながら「ね?」と聞かれれば、僕も紅葉くれはも反射的に頷いてしまう。

 もちろん瑠海さんは友人と言っていい存在だとは思っているけれど、お互いの友人となることで麗華の表情がより険しくなったことに不安を感じずにはいられなかった。

 見送りの時までこう喧嘩されていると、このまま帰ってもいいのかと足が止まってしまう。

 それでも手を振られれば背中を向けるしかなく、お腹いっぱいになってウトウトしているイヴを支えながら歩き出した。

 背後ではまだ口喧嘩が続いていたけれど、僕たちはそのまま門を出て帰路に着く。

 そして、角を曲がって2人から見えなくなったところで、ようやく深めのため息を零しながら全身の緊張を解きほぐした。


「はぁ、あれじゃまともに呼吸も出来ないわよ」

「唾を飲み込むのも躊躇ためらっちゃったね」

「……」ウトウト

「あの様子だと、すぐに仲直りってのは難しそうよ。大丈夫なのかしら」

「あの二人のことだから絶縁なんてことにはならないと思うけど、嫌でも顔を合わせなきゃいけない関係だからね」

「……」コックリコックリ

「時間が解決するってよく言うけど、仲直りしないうちに顔を合わせたらきっと逆効果だわ」

「僕たちで何かしてあげれたらいいんだけど」

「……」スヤスヤ


 僕の言葉を聞いて顎に手を当てながら考え込んだ紅葉は、隣にいるイヴを見て「とりあえず、帰った方がいいわね」と苦笑いする。

 彼女は既に僕に身を預けながら眠ってしまっていて、支えるどころかおんぶしてあげないと移動できないだろう。

 イヴの体重が軽くて助かったと思いつつ、紅葉に助けられながら背負うと、起こしてしまわないようにゆっくりとしたペースで歩を進めた。


「心配しなくても、紅葉にもしてあげるよ」

「べ、別にして欲しいだなんて言ってないじゃない」

「して欲しくないとも言われてないね」

「そんなこと言うわけないじゃない!」

「しーっ。起こしちゃうでしょ」

「悪いのは瑛斗えいとなんだから……」


 不満そうに頬を脹れさせる彼女の頭を、何とか伸ばした手でポンポンとしてあげると、一瞬だけ嬉しそうな表情を見せてくれたものの、すぐにムスッと顔に戻ってしまう。

 それでも何も言わずに歩いていれば、自分から肩を寄せて来て物欲しそうな目を向けた。


「言葉にしてくれなきゃわかんないよ」

「もう、わかってるくせに」

「紅葉の口から聞きたい」

「……して」

「誰が、誰に、何をして欲しいの?」

「わ、私が、瑛斗に、おんぶして欲しいの!」

「うんうん、よく言えました。ご褒美にほっぺぷにぷにしてあげるね」

「自分がしたいだけでしょうが」

「そうだけど?」

「何その当たり前みたいな顔。女の子の肌に触れられることは、当然じゃ無いのよ」


 迫ってくる人差し指を必死に押えながらそう言う紅葉は、「つまり、当然じゃないことを僕にはさせてくれるんだね」という言葉で真っ赤になる。

 けれど、すぐに首を振って調子を取り戻すと、「あ、当たり前でしょう。好きなんだから……」とか細い声で主張した。


「僕も紅葉のほっぺ、好きだよ」

「意味が違うから」

「触るのが好きなのと、触れられるのが好き。ウィン・ウィンの関係だね」

「ただ触れられるだけじゃダメよ」

「……いやらしく触れろってこと?」

「どうしてそうなるのよ」


 紅葉は呆れたようにため息をつきつつも、「大丈夫、変な目で見たりしてないから」という言葉には「別に見てもいいのよ、少しならね」と微笑みを返してくれる。

 その数秒後、突然動き出したイヴが僕の背中から降り、近くの電信柱の陰に隠れて『続きをどうぞ』と言う視線を向けてきたことはまた別のお話。


「あの子、いつから起きてたのかしら」

「もしかしたら、寝てなかったのかもね」

「歩くのが面倒だから運ばせたってこと?」

「可能性があるってだけの話だよ」

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