第498話

 瑠海るうなさんによって強引に少女漫画の世界に浸らせられた僕たちは、麗華れいかが呼びに来たことで正気を取り戻した。

 やはり彼女はこのエレベーターの存在を知っていたようで、鍵やリモコンも所持していたらしい。

 あと少し来るのが遅れていたら、少女漫画の神様に脳みそを食われるところだったよ。彼女には感謝しないとね。


「瑠海、自分の趣味に他人を巻き込んではならないと言いましたよね?」

「申し訳ありません……」

「罰として、今月はもう一緒にお風呂に入ってあげません」

「わ、私はただ皆様にも幸せになって頂こうと……」

「口答えですか?」

「……いえ、なんでもありません」


 ついさっきまであれほどの圧を放っていた瑠海さんが、麗華のひと睨みでしゅんと捨てられた子犬のように大人しくなってしまう。

 いくら2人の仲がよかろうと、メイドという立場ではやはりお嬢様に抗えないのだ。

 ……というか、2人でお風呂に入ってるなんて初めて聞いたなぁ。怒られているシーンを前にして言うのもなんだけど、想像するとほっこりするね。


「反省したなら、さっさと行きますよ。せっかくの料理が冷めてしまいます」

「かしこまりました」

「あ、いい気味なので東條とうじょうさんだけはそのまま放置しても構いませんよ」

「なっ?! こ、こんなところに置いていくつもり?!」

「ふふ、私は少女漫画に埋もれるあなたを監視カメラで見ながらお茶を楽しみますので」

「あ、あんたこそ自分の趣味に人を巻き込んでんじゃないわよ!」


 ペットは飼い主に似るとよく言うが、メイドと主人もそうなのかもしれない。

 僕は可哀想に思いながらも、従順な瑠海さんと悪い顔をする麗華に背中を押されてエレベーターに乗せられてしまう。

 そのまま必死に漫画の山を退けようともがく紅葉が見えなくなって、その後彼女を見たものは誰もいなかった。

 麗華が『ドッキリ大成功』と書かれた看板を掲げながら、紅葉を迎えに行った5分後までは。

 料理の前まで連れて来られた彼女の目に少し涙が滲んでいたけれど、誰もその事には触れなかった……いや、触れられなかったの方が正しいかな。


「ところでお嬢様。あの部屋に監視カメラがあるという話は初耳なのですが」

「伝えていませんでしたからね。安心してください、自動壁ドンマシン3号の設計図のことなんて知りませんから」

「……お、お嬢様?」

「大丈夫ですよ、みんなには内緒です」

「思いっきりバラされましたけど?」


 僕たちが並べられた料理の数々を目で楽しみつつ、『壁ドンマシンってなんだろう』と首を捻る中、瑠海さんは監視カメラの撤去と録画の削除の交渉をしていた。

 結局は外部には漏らさないのでと断られていたけれど、おそらく一番盛れて欲しくなかった部分を漏らされているから諦めるしか無かったんだろうね。

 せめて記憶から消す努力くらいはしてあげよう。……3ヶ月くらいはかかりそうだけれど。


「お嬢様、あの部屋を作る時に約束しましたよね。私のプライベートゾーンにして下さると」

「さあ。したとしても口約束でしょう? 私の家に私がカメラを取り付けようとなんら問題はないはずですが」

「っ……メイドも怒る時は怒るんですからね。いくらお嬢様だとしても、許せないことは許せません」

「なら怒ってみてくださいよ」


 余裕の表情でそんなことを言われても、やはりメイドとしての葛藤があったのだろう。

 冷静な彼女にしては珍しくプルプルと震えると、数十秒してようやく吐き出された言葉は「お嬢様のバカ!」という可愛らしい暴言だった。

 ただ、それでも従者の反逆は許せなかったようで、麗華も「あなたこそ馬鹿でしょう」と言い返してしまう。

 かつては姉と妹のような関係であったことも影響しているのか、その様は姉妹喧嘩のように見えた。

 だが、この2人が互いに不満そうな顔を背けることの面倒臭さを僕たちはまだ知らなかったのである。


「瑠海、あなたのことは二度と頼りませんから」

「私こそ、お嬢様の命令なんて聞きません」

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