第497話

 どれだけの時間、下降し続けただろう。廃坑になら今も残されていそうなデザインのエレベーターなため、普通のものよりもかなりスピードが遅い。

 そうは言っても、トイレに行きたい時にこれに乗ったら、おそらく絶望することになるだろうなという程度の時間は流れていた。

 それでも見えるのは壁、壁、壁。体感としては地下10階くらいまで来ている気もする。

 これは本当に大変なものが隠されているはず。そんな考えで僕たちがお互いに頷き合った数秒後、ガタンという揺れとともにエレベーターが止まった。

 ようやく一番下に到着したらしい。生唾をごくりと飲み込みつつ、開いた扉から出て「どうぞ」と言ってくれる瑠海るうなさんに続いて前へと進む。

 そして突き当たりにあった大きな扉がカードキーで開かれた直後、僕たちは胸の中にあったワクワクやドキドキの全てを吸い取られたかのように失った。


「……ん?」

「……何これ」

「……」シュン


 上で部屋に入った時と同様、白銀しろかね家の闇だとか、とんでもない国家機密だとか、何なら仕事道具なんかが並んでいるとばかり思っていたのである。

 しかし、僕たちは2度目の裏切りを受けた気持ちだった。だって、目の前にあったのは大きな本棚に囲まれた部屋だったから。


「瑠海さん、これはなんですか?」

「私の趣味部屋です」

「趣味って……読書ってことですかね?」

「いえ、本ならなんでもいいわけではありません」

「……確かに、ざっくり見てもジャンルが偏ってるわね。キャピキャピしてるものばかりよ」


 紅葉くれはの言葉に自分も本棚に近付いてみると、確かに全てが少女漫画と呼ばれる類のものだった。

 どの表紙を見ても、顔の3分の1を目が占めている女の子が描かれていて、大半に八頭身の男もいる。

 それを見て僕は思い出した。修学旅行伸ばすの中で、延々とおすすめの少女漫画について語られたあの永遠とも感じられた時間を。

 瑠海さんは普段の過酷な任務で残酷にならなければならない反動で、非現実的で角砂糖よりも甘々な少女漫画にドハマリしてしまったのだ。

 いや、もちろんこういうのが好きという人が一定数いることも理解しているけれど、普段の淡々とした様子からさ信じられないほど熱弁するからね。

 そういう意味でも、この部屋に瑠海さんの一緒というこの状況は、首に刃物を突きつけられているのと同じくらい危険なのだ。


瑛斗えいと様、以前おすすめした作品は読まれましたか?」

「まだですけど……」

「ではここにあるので読んで行ってください。無くさないのであれば貸出も可能ですので」

「いや、そろそろ料理が――――――」

「読んで行かれますよね、ね?」

「……はぃ」


 彼女は優秀な暗殺者だと聞いている。だから、仕事の時は本当に一瞬で仕留めるのだろう。

 そんなプレッシャによるものなのかは分からないが、今日は以前にも増してしつこい。

 頷くまで解放しないという圧で、右手に握られた本の角が凶器に見えてきた。心做しか立ったまま金縛りにあっているような気もする。


「それじゃあ、私はもう上に戻ろうかしら……」

紅葉くれは様にはこちらをおすすめします」

「……あ、あれ。私、いつの間に座ったのよ」


 こっそりとエレベーターに乗り込もうとした紅葉は、目にも止まらぬ早さで回収されてふかふかのイスに移動させられた。

 その膝の上には大量の本。退かさなければ立ち上がれないが、読まずして下ろすことを瑠海さんが許してくれない。


「あれ、イヴは?」

「なっ?! あの子、私を利用して逃げたわね!」

「問題ありません」


 目を盗んで一人でエレベーターに乗ることに成功したイヴも、瑠海さんがポケットに入っていたリモコンを操作すれば、強制的にこちらへ戻されてしまった。

 そして真顔のまま震えている彼女に、同じ真顔で対峙すると、「イヴ様には拘束が必要そうですね?」とどこからともなくロープを取り出す。


「……」フリフリ

「大丈夫です、縛り具合の調節には慣れていますから。痛くはしませんよ」

「……」フリフリフリ

「ふふふ、抵抗するときつくなっちゃいますよ?」


 口元だけをニヤつかせた瑠海さんが、彼女をぐるぐる巻きにして本棚の影につれていくのを、僕たちはただただ見ていることしか出来なかった。

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