第332話

 お姉さんとの話が終わって部屋に戻ると、ベッドの上で何やら枕に顔を埋めていたらしい紅葉くれはが慌てて飛び起きた。


「くーちゃん、何してたの?」

「べ、別に……」

「令和の沢尻エ〇カにならないの」

「いてっ」


 お姉さんにデコピンされて額を抑えた彼女は、涙目になりながらその場でうずくまる。


「本当のことを話しなさい!」

「そうだよ、紅葉」

瑛斗えいとくんは口挟まないで」

「……はい」


 押し負けそうな紅葉が面白いから、お姉さんに加勢してみたら普通に怒られてしまった。

 これは姉妹だけの問題らしい。特に大きな問題でも重要事項でもなさそうだけどね。


「お、お姉ちゃんの……」

「ふむふむ」

「枕の匂いを……嗅いでました……」

「なるほどねぇ」


 お姉さんがウンウンと頷くと、紅葉は恥ずかしさのあまり両手で顔を覆ってしまう。

 そんな妹に追い打ちをかけるように、姉は「つまり、お姉ちゃんの匂いが好きってことか〜♪」と口にした。


「ち、ちがっ……お姉ちゃんが嗅いできたから、仕返ししてやろうと思って……」

「そしたらいい匂いでハマっちゃった?」

「うん。……って違うから!」


 普通に本音が漏れてしまった彼女にケラケラと笑いつつ、お姉さんはその体をギュッと抱きしめる。


「くーちゃんなら、もっと嗅いでいいんだよ?」

「いらないわよ!」

「えぇ、残念。お姉ちゃんはくーちゃんともっとイチャイチャしたいのに」

「私はそんなこと望んでないから……」

「そっか。瑛斗くんとイチャイチャしたいもんね」

「よ、余計なこと言わないで!」


 ずっと横で黙っていた僕が、今だとばかりに両手を広げて「おいで」と言ってみたら、駆け寄ってきた紅葉にコークスクリューを叩き込まれた。

 みぞおちに入ってくる瞬間、時間がゆっくりに感じられたよ。寿限無を3回唱えられるくらいにね。いや、唱えてないけど。


「はぁ。どうしてこんなのを好きになったのか、今でも謎なのよね」

「妹よ、好きに理由なんてないのさ」

「お姉ちゃんくらいになったら、そりゃそうかもしれないけど……」

「くーちゃんも笑えばモテる、足りないのは笑顔!」

「笑う必要のない時には笑えないわよ」

「その割に瑛斗くんの前ではよく笑ってるよね?」

「っ……そ、そう?」


 紅葉は何やら頬に手を当てて唸ると、床で倒れている僕に近付いてきて起き上がるのを手伝ってくれた。

 なかなかいいパンチだったから、もう少し余韻に浸っていたかったんだけどね。


「さすがにやりすぎたわ、ごめんなさい」

「ううん。僕も調子に乗っちゃった」

「ふふ。なら、私も調子に乗っていい?」


 その質問に対して「いいよ」と答えるが早いか、彼女は飛びつくように抱きついてくると、満面の笑みを浮かべながらこちらを見上げた。


「私はね、瑛斗と一緒の時が一番楽しいの」

「急にどうしたの?」

「ずっと私を楽しませてってことよ。そうじゃないと、私に恋愛感情を教えたことを許さないから」

「え、悪いことなの?」

「良いことよ。でも、あなたを忘れられないなら、こんな感情なんて意味ないじゃない」

「確かにそうかもね」


 恋愛の楽しさは誰に教わっても同じかもしれないけれど、その人に向けた恋愛感情はその人以外には効果がない。

 紅葉にとってその相手が僕だったわけで、実らないということはその全てを否定することになる。

 それは許されなくてもしかないよね。『さようなら』のメールを送ってから、凶器片手に駆け込んでくるようなことにはならないで欲しいけれど。


「お姉ちゃんは色んな人に愛を向けてきたけどね」

「お姉ちゃんと一緒にしないで。私は瑛斗以外好きになれないもん」

「私だってその時好きだった人に一途だったしぃ」

「別れて数日で別の男と付き合ったくせに」

「むっ……お姉ちゃんになんてこと言うの!」

「まあまあ、2人とも落ち着いて」

「「瑛斗(くん)は黙ってて!」」


 両方から睨まれてしまって、僕は渋々引き下がるしかなかった。

 今日得た教訓は、親に認めてもらうのはどの家でも簡単じゃないということと――――――――。


「姉妹喧嘩は僕も食えないってことかな」


 次にこういう場面に遭遇した時は、何も言わずに退散しよう。そう心に刻み込みながら、5分間続いた喧嘩を見守るのであった。

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