第51話

 5分ほどベンチで休憩してから、私達は店の並ぶエリアへと移動した。


「お菓子屋さんがあるよ」

「べ、別に興味なんてないわよ?!」

「じゃあ、僕が行きたいから着いてきてくれる?」

「そういうことなら、まあ……」


「こんなところに猫カフェなんてあったんだ」

「珍しいわね」

「入ってみる?」

「……瑛斗がどうしてもって言うなら」

「どうしても」

「単体で言えって意味じゃないわよ」


「すごい綺麗な服だね」

「そうね」

「でも、ちょっと高そうかな」

「そういう事は言わないのがマナーじゃない?」

「ごめんね、服を買うことがあんまり多くないから。だけど、あれなんか紅葉くれはに似合いそうだよ」

「どれのこと?」

「ほら、あそこのマネキンが着てるのだよ」

「……あれは子供服よ」


 ――――――みたいな感じで、色々なお店を回った。不思議なことに、瑛斗えいとは私が興味を持った店に余すことなく目をつけ、『自分が行きたいから』と連れて行ってくれた。

 まるで私の思考回路が見透かされているかのようで、けれど気味が悪いとかそういう感じはしない。むしろ、自分を理解してくれている気がして、居心地が良かった。ただ……。


『試着して見ましょうよ!お兄ちゃんに可愛い姿を見てもらうんです!』


 イヤホンから聞こえてくる声に従って、彼に待っていてくれるよう頼んだ時、私は一瞬見えた不満そうな表情を見逃さなかった。

 そもそも感情を滅多に顔に出さない彼が、私に一度も見せたことがない表情を覗かせた。それも決してプラスなものでは無い。

 私はどこで失敗したのか、どうして今になってあんな表情を見せたのか、試着室の中で着替えながら頭を悩ませた。

 ついさっきまでは、誰から見ても仲のいい2人と言う感じだったと思う。ということは、待たせられることがすごく嫌だったか、もしくはずっと不満を募らせていたかの二択になる。

 滅多に怒らない人が待たせられるだけで不満を漏らすとは考えがたい。有り得るなら後者になるわね……。

 私は心の中で頷いた。それなら謝らないと。いくら瑛斗でも、嫌々付き合って貰っていたなんてことが分かれば、礼と謝罪をするのは当たり前だ。

 これ以上待たせるのも逆効果だろう。そう思って試着室のカーテンを開けた。――――――いや、開けれなかった。


「ど、どういうこと?!」

「紅葉、聞いて」


 まるで何かに引っかかったように、カーテンがスライドできない。外から聞こえてくる瑛斗の声の距離から考えて、彼が押さえているのだろう。


「これは私への嫌がらせ?」

「違うよ、聞いて欲しいことがあるんだ」

「……何よ」


 やけに真剣な声色に、私はカーテンを引っ張っていた手を離し、そう問い返した。


「紅葉、今の格好は自分がしたかったもの?」

「どういう意味?」

「賢い紅葉ならもう分かってるでしょ?」


 彼の言葉に、心のどこかで頷いている自分がいるのを感じた。

 確かに私が今着ているのは、奈々ななちゃんにそうするよう言われたもの。自分で選んだわけじゃない。

 そもそも、私はこういうヒラヒラした服はあまり好きじゃない。女の子らしすぎて、鏡に映る自分の姿を見るのに耐えられないから。

 けれど、こういう格好の方が男の子は好きで、瑛斗を落とすためには必要だって言われたから……。

 彼を落としたい気持ちを考えれば、この格好が自分のしたかったものだと言っても間違いではないはずよ。


「どう言われようと、今の姿が私らし――――――」

「本当にそうなの?」


 今度こそカーテンを開いて、瑛斗に見せつけてやった。どうだ、女の子っぽくて可愛いだろう、と。

 けれど、そんな私を見つめる彼の瞳を見た途端、言葉が続けられなくなった。

 全てを見透かしたような、そんな色をしている。どこまでも綺麗に澄んだ無を抱えた瞳だ。

 彼は私に歩み寄ると、そっと手を伸ばしてくる。怒っていたのだから、叩かれるのかもしれない。そんな考えが過って、ぎゅっと目を閉じてから数秒後、右耳からスポッとイヤホンを抜かれた。


「バレてるよ、ずっと」

「…………」

「相手が誰だかは知らないけど、紅葉に色々と指示してたのは分かってた」

「……どうして?」

「紅葉が紅葉らしくなかったから」


「変に上目遣いしてきたり、腕を掴んできたり……」と例を挙げられる度、私は顔が熱くなるのを感じる。

 思い返してみれば、確かに恥ずかしいことばかりだった気がするわね……。もしかして、瑛斗が不満そうな顔をしたのって、私が私らしくなかったから?


「特にゾンビを怖がってたところはおかしかったよ。紅葉があれを怖がるなんておかしいもん」

「どういう意味よ!」

「紅葉がゾンビよりも―――――――――」

「あ、やっぱりいいわ。……とにかく、あれは別に演技じゃないから」

「じゃあ、他は演技だったんだね?」

「っ……は、嵌めたわね?!誘導尋問よ、誘導尋問!」

「僕は紅葉の本心を確かめたいだけだよ」


 瑛斗はそう言うと、イヤホンを私の手に握らせた。そして、「僕が紅葉にどうしろなんて言う資格がないのはわかってる」と、どこか悲しそうに俯く。


「でも、僕はいつも通りの紅葉の方が好きだよ。話すのに頭使わなくていいし」

「その言い方、私が馬鹿みたいじゃない」

「自分じゃない誰かに言われた通りにだけ動くのは、馬鹿みたいじゃないの?」

「……うっさい」

「紅葉はちゃんと紅葉として、友達である僕と向き合って欲しいよ。そうじゃなきゃ、紅葉が突き放した上辺だけの友達と何も変わらないから」

「っ……あなたにそれを言われるとは思わなかったわね」


 その通りだ。今私がやっているのは、自分らしさを捨てて相手と接するという行為。私が一番嫌ったことを、いつの間にか自分でやってしまっていたのだ。

 悔やんでも悔やみきれないし、やってしまった事実は消えない。けれど、その代わりに瑛斗は『無かったことにできるチャンス』をくれた。


「もう一度聞くよ?今の格好は紅葉がしたいと思ったものなの?」

「いいえ、違うわ」


 悩む時間すら必要なかった。私はポケットからデバイスを取り出すと、瑛斗の目の前で通話を切る。それが私なりの、『もうアドバイスはいらない』という意思表示だった。


「私はもっと落ち着いてて、余計なものがついていない服が好きなのよ」

「それなら、その紅葉らしさを僕に見せてくれる?」

「ええ、もちろんよ!」


 私は大きく頷くと、試着室から飛び出していくらかの服を腕に抱えた。今度は全部私がよ。

 今この腕の中には、私らしさが全力で詰まっている。そう自信を持って言えた。

 そんな私の様子に、瑛斗の顔からは不満の色が消え去って、心做しか楽しそうに見えてくる。笑っている訳でもないのに不思議よね。



 その後、私は気に入った服を片っ端から試着して、その中から特に好きな5着を購入した。

 店から出る際、瑛斗が例の子供服を指さしながら、「買い忘れてるよ?」と言ってきたから、「私らしさゼロよ」とそっぽを向いておいた。


「どの子供服なら紅葉らしいの?」

「……前提がおかしいわよ」


 いつの間にか、礼を言う気も失せてしまったわね……。

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