第40話 アイドルの前に姉

「あなたもそっち側なの?」


 柴波崎しばさきさんの手を振り払おうとするが、活動のために鍛えているとは言え女の子が大人の男の力に敵うはずがない。


「私は味方です」

「だったら離しなさい! 私はこいつを殴らないと気が済まないの!」

「ダメです、ノエル様。アイドルはいつだって綺麗でいなくてはなりません」

「そんな幻想とイヴちゃんを比べられるか!」

「あなたはその両方守れるアイドルですよ」


 柴波﨑さんは軽々とノエルを持ち上げて背後へ移動させると、彼女の細腕から離した拳を目の前の社長の鼻先目掛けて振り下ろす。

 そして、彼は手に付いた鼻血をハンカチで拭いながら、こちらを睨みつける社長に言った。


「アイドルの夢はマネージャーの夢、アイドルの不満はマネージャーの不満。そう教えてくれたのはあなたでしたね、社長」

「柴波﨑、お前誰に手を上げたか分かってるのか!」

「もちろんです。私が殴ったのは、私が守るべき黄冬樹ノエルを侮辱する不届き者ですよ」


 柴波﨑さんは立ち上がろうとする社長を壁に押さえつけると、ノエルの方を振り返って視線で早く行けと合図をする。

 彼女は僅かに残る迷いを振り切って頷くと、「ありがとう」とだけ残して楽屋を飛び出し、生放送の続くステージへと駆け戻った。

 そこでは番組を中断し、事件に関する臨時ニュースが始まっている。

 そんな場所へ現れれば、全てのカメラが一斉に彼女の方へと向けられるのは当然だ。


「っ……」


 息が詰まるようなマイクの数。迫り来るリポーターたちの圧に目眩いすらする。

 けれど、彼らが血眼になる気持ちも分かる。ノエルが誘拐されてノエルが現れるなんて、こんなに面白いネタはなかなかないから。

 だが、ここで押し負けて引っ込むようじゃアイドルなんてやっていけない。

 輝く世界、煌びやか。誰もが思い描くような夢とはかけ離れた、常に誰かを突き落としながら上り詰める泥沼の世界なのだから。


「聞いて下さい」

「「「「…………」」」」


 彼女のよく通る声と真剣な眼差し、プロとしてのオーラに騒がしかった彼らも口を閉ざす。

 今しかない。全てを伝えるのなら。


「攫われたのはノエルじゃありません。何よりも大切な私の妹なんです!」

「妹さん? そう言えば銀髪の子が……」

「私は襲撃があるとは知らなかったものの、事務所の指示であの子を身代わりにしました。全て私の責任です」

「自分のせいで身内に被害が及んで、どうされるおつもりですか!」

「自分じゃどうにも出来ないからここにいるんです! あなたたちならできるんでしょう? 妹がどこに連れて行かれたのか探してください!」


 もう、好感度なんて考えていられない。自分の力でどうにもならないなら、相手がなんであろうと利用するしかないのだ。

 どうせ事務所には逆らった。失うものはもう何も無い、イヴ以外には何も。


「あなたたち、顔覚えてるんですよ。デビューした時に散々ダメアイドルって叩いた人たちですよね」

「「「「っ……」」」」

「アイドルの記憶力舐めないでね、高田さん」

「は、はいぃっ!」

「作り笑顔で何が悪いんですか、石橋さん」

「ご、ごごごめんなさいぃぃ!」

「売れないって決めつけましたよね、後藤さん」

「わ、私が間違ってましたぁぁぁ!」


 腹の底からムカムカとする。出る杭は打とうとするくせに、売れれば神だ天才だと持ち上げて稼ぎ種にする。

 今はそれら全てを水に流そう。その代わり、彼らの使える力を借りさせてもらうが。


「私、傷付いたんですよ? 見返してやろうって頑張ったんです」

「「「「さ、さすがです……」」」」

「おかげで私の味方をしてくれる人も増えましたよね。ドーム5万人ですよ、5万人」

「「「「…………」」」」

「何ぼーっとしてるんですか、今すぐ情報を集めて下さい。早くしないと暴動が起きますよ」


 生放送の会場に来ている人の中にも、彼女のファンは少なくない。あまりのテレビ側の対応に、既に暴れだしそうな人だっている。

 これは協力依頼のように見えた脅しだ。ファンを沈めて欲しければ、何をしてでもイヴを見つけて助ける手助けをしろという意味の。


「助けてくれますよね……ね?」


 『天使のスマイル』。世間ではそう呼ばれる笑顔が、目の前の四人にとっては悪魔の微笑みに見えたことは言うまでもない。


「テレビ局周辺で怪しい人物を見た方は……」

「はい、はい! 北東で黒塗りの車を?!」

「監視カメラの映像を提供してもらえ!」

「行くぞ、お前ら! 足で情報収集だ!」


 必死の形相で仕事に取り組み始める彼らに背を向け、ノエルはテレビ局を後にする。

 情報が届くのを待ってはいられない。自分でも何かを掴むために。

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