第563話

 食事の後、既にお風呂に入った3人はそれぞれ部屋でくつろいでいてもらうことにして、僕だけが入浴タイムを取らせてもらうことになった。

 年越しの瞬間をみんな一緒に迎えるため、早めに入っておかないといけないからね。


「やっぱり広いなぁ」


 強引に放り込まれた時はみんなのこともあってよく見ていなかったけれど、白銀しろかね家本邸のお風呂にも劣らない広さがある。

 どことなく銭湯感があるのは誰かの趣味だろうか。僕はすごく落ち着くし、普段は人がいるはずの場所を独り占めしている優越感が心地よかった。

 そんな気持ちに浸りつつ、あまりのんびりはしていられないと体を洗いにシャワーの前に座る。

 その直後、突然冷たい風が流れ込んできたかと思えば、腰に巻いたタオル一枚の姿の晋助しんすけさんが外に繋がる扉から入ってきた。

 あっちには確かに露天風呂があったはず。いつの間にか食卓を離れたとは思っていたけれど、先にお風呂に入っていたとはね。

 ……ところで、どうして目を閉じているのかな。


「あの、晋助さん?」

「……この声は瑛斗えいと君か」

「はい。お風呂で寝ながら歩いたら危ないですよ」

「寝ていたわけでは無い。君以外の誰かだったなら、すぐさま退出しようと思っていただけだ」

「なるほど」


 確かに晋助さん視点でこの別荘にいる僕以外の人は全員女性だ。きっと、足音なんかを聞いて出てきてくれたのだろう。

 それにしても、目を閉じて見えないようにするなんて、紳士的なのかお茶目なのか分からないね。

 とりあえず、紅葉くれはたちが入ってくることは無いと伝えると、彼は安心したように頷いて背中を向けた。

 けれど、何かを思い出したように再び戻ってくると、椅子をひとつ持ってきて僕の後ろで腰を下ろす。一体何をするつもりなのだろう。


「一人だと洗いづらいだろう。友人の父親として背中を流してあげよう」

「嬉しいですが大丈夫ですよ。麗華れいかから背中を洗えるブラシを貸してもらいましたから」

「立派な社会人になりたいなら、こういう申し出は断らない方がいい。あと、娘と同じものを使わせるのは気に食わん」

「はぁ……」

「いいから鏡の方を向いていなさい。ついでに頭も洗ってやるから」


 晋助さんはシャワーを出すと、半分振り返ったままの僕の顔にかけて前を向かせた。

 そして髪をサッと濡らすと、手に垂らしたシャンプーを髪へ揉み込むようにして泡立てていく。

 いつも自分がしていることを人にしてもらうとよく分かるけれど、頭皮に触れる手はThe大人の男性の手だ。僕のよりも大きくてごつい。

 けれど、どこか安心するのは昔父親と一緒にお風呂に入った頃を思い出すからだろうか。

 大きな手でワシャワシャと洗われるのは少し痛いけれど、同時に楽しくて幸せな時間だった。

 晋助さんの手はそんな父さんの手によく似ている。母さんの尻に敷かれる父親だと言うのにおかしいね。


「麗華たちが産まれる前、私は息子が欲しいと思っていたんだ。跡継ぎのこともあるが、それよりも一緒に遊んでやりたかった」

「でも、生まれたのは女の子だけなんですよね?」

「そうだ。ただ、不思議なことに双子の女の子だと聞いてガッカリはしなかったよ。男の子でなくとも泣いて喜んだ」

「良い父親ですね」

「そうでもない。麗華と麗子れいこの入れ替わりに気付いていながら、長い間何もせずにいた人間を世間は良い父親とは呼ばないだろうからな」

「世間は呼ばなくても僕は呼びます」


 鏡越しに向けられる真っ直ぐな視線に気が付いた晋助さんは、「少しは救われるよ」と呟きながら洗い終わった髪の泡を丁寧に流していく。

 それが終わるとボディソープに取り換え、背中を洗い始めてくれた。


「昔の麗華は運動が苦手でね、麗子は私が誘うといつも庭でボール遊びをしてくれたんだ」

「最近はどうなんですか?」

「……そんなことより、今度一緒にキャッチボールでもしないか?」

「話逸らすの下手ですね」

「仕方ないだろう。麗華とはもう10年以上遊んでいない、部活や勉強、習い事が忙しいと断られていたからな」

「それはきっと、家族とボールで遊ぶのが怖いんじゃないですか? 麗子さんの時のことがあるので」

「そうなのかもしれないな」

「この山なら車も通りませんし、別荘の前に広い空間もありますよ。誘うなら今がチャンスです」

「しかしだな……」

「二度とキャッチボールが出来なくなってもいいんですか? それが原因で会話をしてくれなくなるかもしれませんよ」

「そんなことがありえるのか?!」

「年頃の女の子ですから。いつ『お父さん嫌い』となってもおかしくはありません」


 僕の執拗な脅しが相当効いたのだろう。晋助さんは慌てて立ち上がると、全速力で風呂場から飛び出して行った。

 きっとキャッチボールに誘いに行ったのだろう。麗華のことだから、そんな焦らなくても晋助さんを嫌いになったりなんてしないとは思うけれど。

 まあ、娘を想う気持ちが強いことは悪いことではないよね。そう思いながら体を洗う続きを自分でしようとボディソープに手を伸ばした直後だった。


「旦那様に頼まれ、お背中を流しに参りました」


 いつの間にか鏡に映っていた瑠海るうなさんと目が合い、思わず椅子ごとひっくり返ってしまったことはまた別のお話。


「瑛斗様、大丈夫ですか?」

「平気です。いきなり現れたのでつい」

「メイド服を脱ぐべきか迷っていたので、無意識に足音を消してしまったようですね」

「……さすがです」

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