第564話
あの後、本当にキャッチボールをしてきたのだろう。いい汗をかいたと交代で脱衣場に入っていく麗華とすれ違った。
イヴに遊ばれ……いや、遊んであげていた紅葉によると、それはもう凄まじいキャッチボールだったらしい。
父と娘なら父がある程度手加減をするイメージがあるが、砲丸投げをしていた麗華の肩は予想以上に強く成長していた。
控えピッチャーの交代直前に行われる投球練習ワン彷彿とさせる光景に、眺めていた二人もボーッとしていることしか出来なかったそうな。
「まあ、上手くいったなら良かったよ」
「言葉のキャッチボールは一切無かったけど?」
「……♪」
「イヴも受け取ったボールが語ってくれるって言ってる、その通りだね」
「今の短い時間で本当にそんなこと言ったの?」
「……」ドヤドヤ
「紅葉もお姉さんとキャッチボールしてみたら?」
「ボールもグローブも昔に捨てたわ」
「素手と石があればできる」
「死人が出るわよ」
紅葉は「どこの戦闘民族よ」なんて言いながらイヴの膝を降りようとするが、すぐにお腹に腕を回されてがっしり捕獲された。
話題を上手く利用して逃げるつもりだったらしいけれど、イヴの方が一枚上手だったみたいだね。
「もう、いい加減離して」
「……」フリフリ
「イヴちゃん、わがまま言うと怒るわよ」
「……」シュン
「そんな顔されても諦めたりしないから」
顔は少し俯いても、腕は頑なに離さない彼女。それならばと紅葉は暴れ始めるが、そっと耳元へ口を近付けたイヴが何かを囁くと、まるで鎮静剤でも投与されたかのように大人しくなる。
「紅葉、大丈夫?」
心配になって声をかけてみるも、お人形さんのようにぐったりと身を預けているだけ。
試しに頬をぷにぷにとしてみても、足をこちょこちょしてみても反応はなかった。
「……死んでる?」
「……」フリフリ
「え、イヴが催眠術をかけたの?」
「……」コクコク
「じゃあ、何か命令したら言うこと聞いてくれるってこと?」
「……」グッ
なるほど、どこで練習してきたらそんな即効性のある催眠術が使えるようになるのかは分からないけれど、眠ったということはそうなのだろう。
ということは、今の紅葉は思うがまま操れるわけだ。前に麗華に催眠術をかけて大変な目にあったし、気は引けるというのはもちろんだけど……。
「面白そうだね」
「……」コクコク
「イヴ、何か命令してみてよ」
「……」フリフリ
「あ、そっか。話したくないなら僕がかけるよ」
手始めにやるならニワトリや牛のような動物だろう。紅葉なら猫がいいかもしれない、きっと可愛いやつになってくれるはずだし。
ただ、王道すぎるのも考えものだよね。テレビで見る催眠術は、いつも誰でも真似出来そうな生き物しか指名しないし。
せっかくの機会なら、何か変わった生き物の真似をさせてみたい。例えば――――――――――。
「チョウチンアンコウになって」
そう伝えると、紅葉は一瞬固まってから、ゆっくりと顎をしゃくれさせた。
そして小さめのヒレを動かして泳いでいることを表しているのか、手の平をパタパタさせながら僕の周りを歩き始める。
「おお、チョウチンアンコウそっくり」
「……」コクコク
「次はね、リュウグウノツカイになって欲しいな」
「……」ワクワク
二人から期待の眼差しを向けられると、彼女はお尻をフリフリしながら歩き回った。
どうやら尾びれを動かして泳いでいるところを表現しているらしい。あまりリュウグウノツカイっぽさは無いけれど、僕もどう〇つの森でしか見たことないからそんなものなのだろう。
しかし、何を言ってもやってくれるということはつまり、紅葉自身が存在を認識している生き物ならなんでもいいのではないか。
そう考えて、次なる動物を言いかけたその時。
「タツノオトシ――――――」
「いい加減にしなさい!」
「ぐふっ……」
みぞおちにめり込んだ拳に、気が付けば膝を折って紅葉の足元に座り込んでいた。
彼女はつい先程までリュウグウノツカイをしていたとは思えないほどハッキリとした意識でこちらを睨むと、ペシペシと頭を叩きながら怒ってくる。
「誰がチョウチンアンコウにそっくりな顔よ」
「別にそんなこと言ってないよ。顎が似てるって言っただけで……」
「十分傷つくわ!」
紅葉によると、彼女はイヴに提案された作戦に乗ってあげたらしい。
その作戦というのが、催眠術にかかった演技をすることで僕にとんでも命令をさせ、それをネタに逆命令をするというもの。
要するに、シャクレ顎もフリフリお尻も自分の意思でやっていたわけだ。そう思うと面白いね。
「はぁ、悪い命令してやろうとか思わないわけ?」
「嫌いな相手ならしてたかも」
「例えば?」
「一番課金してるゲームのデータを消せとかかな」
「……人によっては刺さりそうね」
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