第555話
僕は深呼吸をしてから「失礼します」と口にして、ゆっくりと中へ入る。
訪問者が僕だと分かった瞬間の曖昧な表情には少し傷つきそうだけれど、今更引き返すわけにもいかないのでそのまま
すると、見えたお皿の中身はあまり減っていない。やっぱり
「晋助さん」
「君にお義父さんと呼ばれる筋合いは無い!」
「いや、呼んでませんけど……」
「目がそう言っていた」
「気のせいですよ」
僕が嫌われているのは、信介さんが麗華のことを大事に思っているから。そういうふうに考えて、理不尽な対応はグッと腹の底に落とした。
そして、何も無い部分を切っているナイフを握る腕を止めると、「みんなで一緒に食べましょう」と目を見て伝える。
その言葉に一瞬嬉しそうな顔をしてはくれたものの、向こうには向こうの意地があるらしい。頷くまでには至らなかった。
「みんな、晋助さんを待ってくれています」
「私はどう考えてもお邪魔だ。ただ、娘を君に取られたくないだけだと言うのに……」
「そんなことないです。麗華は晋助さんのことが大好きだと思いますよ?」
「どうしてそんなことが分かるんだ」
「時々晋助さんの話を聞きますけど、悪口なんて聞いたことないですから。高校生ともなれば、親の嫌なところくらい愚痴るはずです」
「……」
「僕と一緒が嫌なら僕が一人で食べます。だから、この別荘では家族一緒に食事して下さい」
「その言い方、麗華から聞いたのか」
「はい。
「……なるほど。私は君を見誤っていたようだ」
はっきりとは言葉にしなかったけれど、その意図を理解してくれたのだろう。
晋助さんは伸ばした手で僕と軽く握手をしてから、料理の乗ったお盆を持って立ち上がった。
そして部屋から出ようとドアノブを握ったところで、何かを思い出したようにこちらを振り返る。
「一応言っておくが、私は君を認めた訳では無い」
「分かってます」
「ただし、いつか君は前に進めた時は麗華との交際を認めよう。その場で足踏みをしているだけの青年に、愛娘を預けることは出来ないからな」
「前に進めた時には……きっと、自分の気持ちの答えも出ていると思います」
「ああ。それでは、食卓へ向かおうか」
部屋から出ていく晋助さんの背中を追い掛け、僕もすぐにドア枠を
その直後に見えた哀愁を放つ大きな背中から、少しだけ反対していた気持ちがわかった気がする。
事故で娘を一人で亡くしている親からすれば、結婚して家を出ていくこともまた、別の意味で離れ離れになるということなのだ。
悲しいに決まっている。幸せを願う気持ちとの葛藤は苦しいに決まっている。
僕の口にした正論が、そんな晋助さんを苦しめてしまわないように気をつけよう。そう改めて心の中で頷いた。
「何をぼーっとしている。早く行くぞ、
「あ、すみません。少し考えごとを……」
「考えごと? そう言えば、麗華も最近君のことで悩んで……私の娘にあんな顔をさせるなんて許せん!」
「あまりに理不尽ですよ」
「ええい、私はやっぱり一人で食べるぞ!」
食卓の直前になって引き返そうとする晋助さんに困っていると、飛び出してきた瑠海さんがサッとトレーを受け取ってから彼を転ばせた。
そして抵抗も出来ないまま、引きずられるようにして食卓まで連行される。
大人しく行っておけば、こんな情けない姿は見せずに済んだだろうに。
「
「お嬢様から連れてきて欲しいとの命令ですので」
「し、仕方ない。今すぐ離せば給料を倍にする!」
「……お嬢様の信頼がお金で買えるとでも?」
何はともあれ、今日でほんの少しだけお互いの心の内を分かり合えたことは間違いない。
今の僕の印象はきっと、好き寄りの嫌いくらいには落ち着いてくれてるだろう。今はそうであって欲しいと願うばかりである。
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